2016年1月30日土曜日

9.固有値と固有ベクトル

9.固有値と固有ベクトル

 ここで1次演算子の理論をさらに發展させる必要があるが,その要點は次の方程式を硏究することである:

ただしは1次演算子,はただの數である.この方程式は普通次の形で現われる.はすでにわかっている1次演算子であり,數とケットとがわからない量であって,(10)を滿足するようにそれらを選ぼうとするのである.ただしという解はわかりきっているから問題にしない.

 方程式(10)の意味は,1次演算子をケットに施すと,それはちょうど,このケットにある數因子が掛かったことになって,その方向は變わらないか,さもなければ因子零が掛かったことになり,從って方向をもたなくなってしまうということである.この同じ演算子をほかのケットに施せば,いうまでもなく,一般にそのケットの長さと方向とはどちらも變化する.方程式(10)でたいせつなのはの方向だけであるということに注意してほしい.零以外のどんな數をに掛けても,方程式(10)を滿足するかせぬかという問題には影響しない.

 方程式(10)とともに,共役虛の形の方程式

もあわせて考えるのが當然である.ただしはただの數である.この方程式でわからない量は,數と,零ではないブラとである.方程式(10)と(11)とは理論の中できわめて基本的な重要さを持ったものであるから,それに含まれているいろいろな量の間の關係を言い表わすのに特別なことばがあった方がよい.そこで,(10)が滿足されていれば,のことを1次演算子あるいはそれに對應する力學變數の固有値1とよぶことにし,のことを1次演算子あるいは力學變數の固有ケットとよぶことにする.さらに固有ケットは固有値に屬するということにする.同様に(11)が滿足されていれば,のことをの固有値とよび,のことをこの固有値に屬する固有ブラとよぶことにする.固有値,固有ケット,固有ブラというようなことばは,いうまでもなく,1次演算子あるいは力學變數と關連してはじめて意味を持つのである.

 これらの術語を用いると,の固有ケットに零でないかってな數を掛ければ,その結果得られるケットはやはり一つの固有ケットであって,もとの固有ケットと同じ固有値に屬している,という主張ができる.ある1次演算子の獨立な固有ケットの二つまたはそれ以上のものが,その1次演算子の同じ一つの固有値に屬していることもある.たとえば方程式(10)になどのいくつかの解があって,そのいずれもがという同じ値に對して成りたっており,しかもいろいろな固有ケットが獨立であるような場合である.この場合には明らかに,固有ケットの1次結合はどんなものも,やはりその1次演算子の同じ固有値に屬する固有ケットになっている.たとえばをかってな數として,

はやはりまた(10)の解である.

 特別の場合として,方程式(10)および(11)で1次演算子がただの數,たとえば,であるときには,ととがに等しいかぎり,どんなケットでもブラでも明らかにこれらの方程式を滿足する.從って,ただの數を1次演算子と考えればそれはただ一つの固有値をもち,どんなケットも固有ケットであり,どんなブラも固有ブラであって,この固有値に屬している.

 實でない1次演算子の固有値および固有ベクトルの理論は量子力學にはあまり用がない.それゆえこれからさき理論を進めてゆく上では實の1次演算子に話を限ることにする.として實の1次演算子を置けば,方程式(10)と(11)との代わりに

が得られる.これからすぐに次の三つのたいせつな結果が導き出される:

 (i) 固有値はすべて實數である.(12)を滿たすが實數であることを證明するために,(12)にブラを左から掛けると

が得られる.ところが方程式(4)での代わりにとし,の代わりに實の1次演算子とするとわかるようには實數でなければならず,また§6の(8)からわかるようには實數で零と異なるものでなければならぬ.ゆえには實數である.同樣に(13)に右からを掛けるとが實數であることが證明される.

 (12)の解が得られたものとしてその共役虛の方程式を作って見ると,ととが實であるから,

となるはずである.そこでこの共役虛の方程式は,およびという(13)の解を與えている.このことから考えて次のように結論できる.

 (ii) 固有ケットに伴なう固有値はすべて,固有ブラに伴なう固有値と同じである.

 (iii) どんな固有ケットでもそれに共役虛なベクトルをとれば,それは同じ固有値に屬する固有ブラになっている.またその逆も成りたつ.この最後の結果があるので,ある狀態が固有ケットあるいはそれに共役虛な固有ブラに對應していれば,それをその實の力學變數の固有狀態とよぶのが合理的である.

 いろいろな實の力學變數の固有値と固有ベクトルとは量子力學で非常に廣く用いられるから,それらに目印をつける何か系統的な記號が欲しいのであるが,以下に述べる記號で大槪の目的にはかなっている.が實の力學變數であれば,その固有値をなどとよぶ.從って文字それ自身は實の力學變數あるいは實の1次演算子を示し,同じ文字にブライムあるいは添え字をつけたものはただの數,つまりその文字自身の示す演算子の固有値,を示すものとするのである.そうすれば固有ベクトルにはその屬する固有値を用いて目印をつければよい.從ってつまりと書けばそれは力學變數の固有値に屬する固有ケットを示している.取り扱う問題によっては,ある力學變數の同じ固有値に屬する固有ケットが一つ以上出てくることがあるが,それらを互に區別するためにはさらに目印をもう一つ,場合によってはそれ以上つければよい.つまり同じ固有値に屬する二つの固有ケットを取り扱っているときには,それらをおよびと呼べばよいのである.

 定理.ある實の力學變數の異なる固有値に屬する二つの固有ベクトルは直交している.

 この定理を證明するために,をそれぞれ實の力學變數の二つの固有値およびに屬する固有ケットとする.そうすると次の方程式が成りたつ:

(14)の共役虛の式をとると,

が得られる.これに右からを掛けると,

となり,(15)に左からを掛けると,

となる.ゆえに,これらを差し引いて

これは,であれば,となって二つの固有ベクトルととは直交していることを示している.これからあとでこの定理を引用するときは直交性の定理ということにする.

 これまで實の1次演算子の固有値と固有ベクトルとの性質を論じて來たが,與えられた實の1次演算子に對して固有値および固有函數というものが存在するかどうか,また存在すると、すればどうやってそれらを見つけるか,という問題はまだ考えていなかった.この問題は一般には非常にむつかしい.けれどもうまく解くことのできる特別な場合が一つあってそれがなかなか役にたつ.というのは實の1次演算子をたとえばとすると,が代數方程式

を滿足する場合である.ここで係數はただの數である.この方程式の意味は,いうまでもなく,演算子をどんなケット・ベクトルあるいはブラ・ベクトルに施しても零という結果が生ずるということである.

 (17)がの滿足する最も簡單な代數方程式であるものとしよう.すると次のことがわかる:

 () の固有値の個數はである.

 () の固有ケットがある個數存在し,どんなかってなケットをとってもそれらの固有ケットの和として表わすことができる.

 代數式は個の1次因子に分解できてその結果は,たとえば,

となる.ここでcはただの數であるが,すべてのcが互に異なるということは別に假定していない.この因數分解はが1次演算子であっても,が普通の代數の變數である場合と全く同樣に實行することができる.それは(18)の中にはと交換しないものは何も現われてこないからである.をで割ったときの商をとする.從って

すると,どんなケットに對しても

ところでがすべてのケットに對して零であるということはあり得ない.もしそういうことがあれば,自身が零となることになり,從ってが次の代數方程式を滿足することになって,(17)がの滿足する最も簡單な方程式であるとした假定と矛盾することになるからである.が零とならないようにを選べば,方程式(19)はがの固有ケットで固有値に屬していることを示している.この議論はの値のからまでのどれにもあてはまる.ゆえにのそれぞれがの固有値である.これ以外の數がの固有値となることはあり得ない.というのは,がある固有値で固有ケットに屬するものとすれば

となるので,

が導かれ,左邊は零であるからでなければならないからである.

 ()を完全に證明するためには,これらのがみな互に異なることを確かめなければならない.いま假にのすべてが異なる數というのではなく,たとえばとして,が囘現われるものと假定してみよう.この時は

という形をとる.ただしはの有理整函數である.すると方程式(17)から,どんなケットに對しても

はの固有値であるから實數でなければならず,從っては實の1次演算子である.そこで方程式(20)は方程式(8)と同じ形であっての代わりにと置きの代わりにと置いたものである.方程式(8)についての定理から考えて

となることが結論できる.ケットは全くかってに取れるのであるから

となるが,これは(17)がの滿足する最も簡單な方程式であるという假定に矛盾する.ゆえにすベてのは互に異なることになって()が證明された.

 代數式のの代わりにを入れたときに得られる数をとする.すべてのは互に異なるのであるから,が零となることはあり得ない.そこで,

という式を考えて見る.この式での代わりにを代入すると,その和の中の項は,の項一つを除いてすベて零となってしまう.それは,のときはの中にはという因子が含まれているからである.そして,の項は1になるのであるからこの式は全體としては零となってしまう.こういうわけで(21)式はを個の數のどれかに等しいと置けば零になる.ところがこの式はについて次にすぎないから,これは恒等的に零でなければならない1).そこでこの1次演算子(21)をかってなケットに施して結果を零に等しいとおくと,

が得られる.ここで右邊の和の中の各項は,もし零とならなければ,(19)によりの固有ケットである.方程式(22)は從って任意のケットをの固有ケットの和として表わしたものである.こうして()が證明された.

 簡單な例として

という方程式を滿足する實の1次演算子を考えてみよう.この時は二つの固有値ととをもっている.任意のケットは

と表わすことができる.たやすく確かめられるように,この式の右邊の二つの項は,それが零にならない場合には,の固有ケットでそれぞれ固有値およびに屬するものである.


  1. ‘eigen’(固有)という代わりに‘proper,ということばが用いれることもあるが,これは感心しない.‘Proper’および‘improper,ということばが別の意味で用いられることが多いからである.たとえば§15および§46では‘improper function’(廣い意昧での函數)および‘proper energy’(本来のエネルギー)ということばが用いられている. ↩