4.重ね合わせと不確定の性質
讀者は,光子の存在を光の古典理論とうまく調和させようとして試みた前の2節のやり方に,あるいは不滿を感じておられるかも知れない.諸君の議論は次のようなものであろうか.すこぶる奇妙な考え方が持ち込まれてきたものだ――つまり,光子は二つのかたよりの狀態のどちらにも部分的に存在すること,または互に離れた二つの光線のどちらにも部分的に存在することができるという考え方――,しかもこの奇妙な考え方の助けをかりても,基礎的な1光子の過程について滿足のゆくような像を描くことはやはりできなかったではないか,と.さらにまた,この奇妙な考え方をしたところで,それは前に論じた實驗の結果について,光子が何かばく然と波に導かれて進むという初等的な考察からでも得られる知識以上には,何一つ與えてはくれなかったではないか,といわれるかも知れない.さてそれならこの奇妙な考え方は何の役に立つのであろうか?
第1の批判に答えて,物理學のような科學のおもな目的は像を描き出すことではなくて,現象を支配している法則を定式化し,それらの法則を應用して新しい現象を發見することにあるという點を注意しておこう.もしも像が描ければそれにこしたことはないけれども,像が描けるか描けないかは二の次の問題にすぎない.原子に關する現象の場合には普通の’像’ということばの意味での像を描けるとは期待できない.普通このことばは,本來古典論的な働きを營む模型をさしているからである.しかし‘像’ということばの意味をひろげて,基本法則が內部に矛盾を含まないことを明らかにするような見方はどんなものでもこれに含まれるという解釋をすることもできる.このように意味をひろげておけば,量子論の法則に慣れてくるにつれてだんだんと原子に關する現象の像が描けるようになってくる.
第2の批判についていえば,光を用いた多くの簡單な實驗に對しては,光の波に光子がばく然と統計的に結びついているという初等的な理論でも結果を適切に說明することができるであろう.このような實驗の場合には量子力學を用いてもそれ以上の知識を與えることはできない.しかし大部分の實驗では條件が非常に複雜であるために,この種の初等的な理論を適用することはできず,從って量子力學が與えてくれるような手のこんだ形式が必要とされるのである.複雑な方の場合に量子力學で用いる述べ方は,簡單な場合にも應用される.この場合,實驗結果を說明するには實はそういう述べ方を用いなくても間に合うのではあるが,それをこれらの簡單な場合について學んでおくことはおそらく一般の場合に對しての手引きとして適當であろう.
このほかに,理論の形式全體に向けられた全般的な批判がある.それは次のようなものである.古典理論では事柄がすべて決定していたのに,こんどはその性質から離れたために自然の書き表わし方が非常に複雑なものとなってしまった.これははなはだ好ましくない特徵である,というのである.書き表わし方がこうして複雜になったことは否定できない.しかしそれは狀態の重ね合わせの原理という一般的な原理が事柄を非常に簡單にしてくれるので帳消しになるのである.この原理をこれから考察することにしよう.しかしそのまえに一般の原子系の’狀態’というたいせつな槪念を精密にしておくことが必要である.
一定の性質(質量,慣性能率など)を持ち一定の力の法則に從って互に作用している粒子あるいは物體から成る任意の原子系をとって見よう.粒子または物體の運動は力の法則と矛盾せぬ範圍でいろいろなものが可能である.これらの運動はそれぞれこの體系の狀態とよばれる.古典的な考えに從えば狀態を一つ指定するにはある時刻にこの體系を作っているいろいろな部分の座標と速度とにすベて數値を與えればよく,それで運動全體は完全に定まってしまうはずである.ところが3―4ページの議論で示したように,われわれは小さな體系を古典論で想像されるほどに詳しく觀測することはできないのである.觀測能力に制限があると,一つの狀態に屬する數値の個數も制限される.從って原子系の狀態は,ある時刻にすべての座標と速度とに完全に數値を與えたものにくらべれば,もっと數の少ないまたはもっと不確かな數値をもとにして指定しなければならないのである.この體系がただ1個の光子である場合には,§3で述べた意味での進行の狀態を與え§2で述べた意味でのかたよりの狀態を與えれば,その二つを合わせて狀態がーつ完全に指定されることになる.
體系の狀態とはかき亂されない運動のことであると定義してよかろう.但しこの運動は理論上互に干渉や矛盾を起さをい範園で,できるだけ多くの條件や數値を與えて制限するものとする1).實際問題としては,これらの條件を課そうと思えば體系を適當に整えてやればよい.ということは,たいていはこの體系をスリットとか偏光計のようなより分ける働きをする裝置をいろいろ通してやることである.そして體系を整えた後にはかき亂さずにおくのである.’狀態’ということばは體系を整えた後のある特定の時刻の狀態をさして用いることもあり,また體系を整えた後の時間全部を通じての狀態をさして用いることもある.これらの二つの意味を區別するために,はっきりしないおそれのあるときは,後の意味の方を’運動の狀態’とよぶことにする.
量子力學の一般的な重ね合わせの原理は任意の1個の力學系のとるいろいろな狀態の間に適用される.ここで狀態というのは上の二つの意味のどちらでもよい.この原理によると,これらの狀態の間には特別の關係があって,その結果,體系がはっきりと一つの狀態にあるばあい,いつでも,それが,部分的に,ほかの二つの狀態あるいはもっと多くの狀態にあるものとみなしてもよい,と假定せねばならない.つまりもともとの狀態は,新しい二つまたはそれ以上の狀態をある種のやり方で重ね合わせた結果と見なさなければならない.但しこの重ね合わせの仕方は古典的な考え方では想像のつかぬものである.どんな狀態をとっても,それを二つまたはそれ以上の他の狀態の重ね合わせの結果と考えることができ,しかも實にその重ね合わせの仕方は無數にたくさんあるのである.逆にどんな二つまたはそれ以上の狀態をとっても,それらを重ね合わせると一つの新しい狀態が生ずるのである.一つの狀態を他の多くの狀態の重ね合わせの結果として表わす手續きは,いつでも許される數學的な手續きであり,物理的な條件とは何の關連もなしにできることである.ちょうどそれは一つの波をフーリエ成分に分ける手續きと似たものである.もっとも,特定の場合に對してこの分解が役に立つかどうかは,考えている問題の特殊な物理的條件によって左右される.
前の2節では1個の光子から成る體系に對して重ね合わせの原理を適用した例を述べた.§2ではかたよりについてだけ異なる狀態を取り扱い,§3では全體としての光子の運動についてだけ異なる狀態を取り扱った.
重ね合わせの原理の結果として,どんな體系についてもそのいろいろな狀態の間には一定の關係が存在しなければならない.この關係は,われわれの用いなれた物理的な槪念ではその本質を說明し得ないような種類のものである.體系が二つの狀態のそれぞれに部分的に存在しているということを古典的な意味で想像したのでは,それが別の一つの狀態に存在していることと同じであるとはどうしても理解できない.すなわちそこにはまったく新しい考え方が含まれているのであって,この考えに慣れてしまうことが必要なのであり,そしてまたこの考えを用いて正確な數學的理論を作りあげなければならないのである.そして立入った古典論的な像を描くことはいっさいやめにするのである.
ある狀態が他の二つの狀態から作られているときには,それはもとの二つの狀態に對して,何かばく然とした意味ではあるが,中間的な性質を持っており,重ね合わせの際にもとの一方の狀態にかけた‘重み’が多いか少ないかに従って,そちらの狀態の性質に近いものになるか遠いものになるかするであろう.重ね合わせを行う時のもとの二つの狀態の間の相對的な重みがわかり,さらに位相の差が定められれば,それで新しい狀態は完全に定義される.ただし一般の場合について重みと位相とに正確な意味をつけるには數學的理論の力をかりるのである.光子のかたよりの場合には,重みと位相との意味は古典光學の與えるのと同じものである.從ってたとえば垂直な二つの直線の方向にかたよった狀態を等しい重みで重ね合わせると,新しい狀態は位相の差に應じて右囘りまたは左囘りに圓形にかたよるかあるいはの角をなして直線的にかたよるか,さもなければ楕圓形にかたよった狀態となる.
重ね合わせの過程が古典的な性質のものでないことは,次のような性質をもつ二つの狀態 ととの重ね合わせを考えてみれば明白になる.すなわちある一つの觀測があって,これを狀態にある體系に施すと確實にある特定の結果,たとえばが得られ,また狀態 にある體系に施すと確實にこれと異なるある結果,たとえばが得られるものとする.ところでこの觀測を,重ね合わせた狀熊にある體系に施せば結果はどうなるであろうか?
その答は,觀測の結果はあるときは ,あるときはになる,そしてそれは重ね合わせの際のととの相對的な重みに關係した確率の法則に從って定まる,というのである.結果がとのどちらとも異なるものとなることは決してない.つまり重ね合わせによって生じた狀態が中間的な性質をもつといっても,それは,ある觀測をしたとき特定の結果が得られる確率が,もとの二つの狀態でのこれに相當する確率の中間にあるという點に現われるのであって1,觀測の結果そのものがもとの二つの狀態での觀測の結果の中間にあることにはならないのである2).
こんなふうに考えて見ればよくわかるように,狀態の間に重ね合わせの關係を假定したりして,通常の考えから思いきって離れてしまうのは,觀測に伴なって體系がかき亂されることと,その結果として観測の結果に不定さのあることがどんなに重要であるかを充分認めた上ではじめてできることなのである.どんな原子系でもそれが與えられた狀態にあるとき觀測を行うと,一般にその結果は一定ではない.すなわち同じ條件のもとに實驗を何度か繰り返すといくつかの異なった結果がえられることがありうる.もっとも,自然の法則として,實驗を非常に多くの囘數繰り返すと,その結果特定の値はそれぞれ全體の囘數の內の一定の割合だけ得られるものであり,從ってそれぞれ一定の確率で特定の結果が得られるのである.この確率こそこれから理論を用いて計算しようとするものである.ある結果の得られる確率が1となる特別の場合にだけしか,實驗の結果は一定したものにならない.
狀態の間に重ね合わせの關係を假定することから導かれる數學的理論では,狀態を定義する方程式は未知數について1次である.この結果として當然ひとびとは古典力學の體系との間に類推をたてようと試みた.その體系というのはたとえば振動する弦や膜などであって,それらは1次方程式に從うから,重ね合わせの原理が成りたっているのである.このような類推から量子力學は時おり’波動力學’というなまえで呼ばれるようになった.しかしながら量子力學に現われる重ね合わせは古典論に現われる重ね合わせのどれとも本質的に異なる性質のものであることを決して忘れてはならない.このことは,量子論での重ね合わせの原理にもっともな物理的解釋を與えるには,觀測結果の不定さを考えにいれる必要がある,ということからあきらかである.從って,上にのべた類推はややもすれば誤解を招きやすいものである.
- 重ね合わせによって生じた狀態に對して特定の結果が得られることの確率は,一般の場合には,必ずしももとの狀態についての確率の中間にはならない.一般の場合とは,もとの二つの狀態についてその特定の結果の出る確率が0でも1でもない場合のことである.從って重ね合わせて作られた狀態が’中間のもの,であるといっても,それはある制限の中での話である. ↩