2016年1月30日土曜日

9.固有値と固有ベクトル

9.固有値と固有ベクトル

 ここで1次演算子の理論をさらに發展させる必要があるが,その要點は次の方程式を硏究することである:

ただしは1次演算子,はただの數である.この方程式は普通次の形で現われる.はすでにわかっている1次演算子であり,數とケットとがわからない量であって,(10)を滿足するようにそれらを選ぼうとするのである.ただしという解はわかりきっているから問題にしない.

 方程式(10)の意味は,1次演算子をケットに施すと,それはちょうど,このケットにある數因子が掛かったことになって,その方向は變わらないか,さもなければ因子零が掛かったことになり,從って方向をもたなくなってしまうということである.この同じ演算子をほかのケットに施せば,いうまでもなく,一般にそのケットの長さと方向とはどちらも變化する.方程式(10)でたいせつなのはの方向だけであるということに注意してほしい.零以外のどんな數をに掛けても,方程式(10)を滿足するかせぬかという問題には影響しない.

 方程式(10)とともに,共役虛の形の方程式

もあわせて考えるのが當然である.ただしはただの數である.この方程式でわからない量は,數と,零ではないブラとである.方程式(10)と(11)とは理論の中できわめて基本的な重要さを持ったものであるから,それに含まれているいろいろな量の間の關係を言い表わすのに特別なことばがあった方がよい.そこで,(10)が滿足されていれば,のことを1次演算子あるいはそれに對應する力學變數の固有値1とよぶことにし,のことを1次演算子あるいは力學變數の固有ケットとよぶことにする.さらに固有ケットは固有値に屬するということにする.同様に(11)が滿足されていれば,のことをの固有値とよび,のことをこの固有値に屬する固有ブラとよぶことにする.固有値,固有ケット,固有ブラというようなことばは,いうまでもなく,1次演算子あるいは力學變數と關連してはじめて意味を持つのである.

 これらの術語を用いると,の固有ケットに零でないかってな數を掛ければ,その結果得られるケットはやはり一つの固有ケットであって,もとの固有ケットと同じ固有値に屬している,という主張ができる.ある1次演算子の獨立な固有ケットの二つまたはそれ以上のものが,その1次演算子の同じ一つの固有値に屬していることもある.たとえば方程式(10)になどのいくつかの解があって,そのいずれもがという同じ値に對して成りたっており,しかもいろいろな固有ケットが獨立であるような場合である.この場合には明らかに,固有ケットの1次結合はどんなものも,やはりその1次演算子の同じ固有値に屬する固有ケットになっている.たとえばをかってな數として,

はやはりまた(10)の解である.

 特別の場合として,方程式(10)および(11)で1次演算子がただの數,たとえば,であるときには,ととがに等しいかぎり,どんなケットでもブラでも明らかにこれらの方程式を滿足する.從って,ただの數を1次演算子と考えればそれはただ一つの固有値をもち,どんなケットも固有ケットであり,どんなブラも固有ブラであって,この固有値に屬している.

 實でない1次演算子の固有値および固有ベクトルの理論は量子力學にはあまり用がない.それゆえこれからさき理論を進めてゆく上では實の1次演算子に話を限ることにする.として實の1次演算子を置けば,方程式(10)と(11)との代わりに

が得られる.これからすぐに次の三つのたいせつな結果が導き出される:

 (i) 固有値はすべて實數である.(12)を滿たすが實數であることを證明するために,(12)にブラを左から掛けると

が得られる.ところが方程式(4)での代わりにとし,の代わりに實の1次演算子とするとわかるようには實數でなければならず,また§6の(8)からわかるようには實數で零と異なるものでなければならぬ.ゆえには實數である.同樣に(13)に右からを掛けるとが實數であることが證明される.

 (12)の解が得られたものとしてその共役虛の方程式を作って見ると,ととが實であるから,

となるはずである.そこでこの共役虛の方程式は,およびという(13)の解を與えている.このことから考えて次のように結論できる.

 (ii) 固有ケットに伴なう固有値はすべて,固有ブラに伴なう固有値と同じである.

 (iii) どんな固有ケットでもそれに共役虛なベクトルをとれば,それは同じ固有値に屬する固有ブラになっている.またその逆も成りたつ.この最後の結果があるので,ある狀態が固有ケットあるいはそれに共役虛な固有ブラに對應していれば,それをその實の力學變數の固有狀態とよぶのが合理的である.

 いろいろな實の力學變數の固有値と固有ベクトルとは量子力學で非常に廣く用いられるから,それらに目印をつける何か系統的な記號が欲しいのであるが,以下に述べる記號で大槪の目的にはかなっている.が實の力學變數であれば,その固有値をなどとよぶ.從って文字それ自身は實の力學變數あるいは實の1次演算子を示し,同じ文字にブライムあるいは添え字をつけたものはただの數,つまりその文字自身の示す演算子の固有値,を示すものとするのである.そうすれば固有ベクトルにはその屬する固有値を用いて目印をつければよい.從ってつまりと書けばそれは力學變數の固有値に屬する固有ケットを示している.取り扱う問題によっては,ある力學變數の同じ固有値に屬する固有ケットが一つ以上出てくることがあるが,それらを互に區別するためにはさらに目印をもう一つ,場合によってはそれ以上つければよい.つまり同じ固有値に屬する二つの固有ケットを取り扱っているときには,それらをおよびと呼べばよいのである.

 定理.ある實の力學變數の異なる固有値に屬する二つの固有ベクトルは直交している.

 この定理を證明するために,をそれぞれ實の力學變數の二つの固有値およびに屬する固有ケットとする.そうすると次の方程式が成りたつ:

(14)の共役虛の式をとると,

が得られる.これに右からを掛けると,

となり,(15)に左からを掛けると,

となる.ゆえに,これらを差し引いて

これは,であれば,となって二つの固有ベクトルととは直交していることを示している.これからあとでこの定理を引用するときは直交性の定理ということにする.

 これまで實の1次演算子の固有値と固有ベクトルとの性質を論じて來たが,與えられた實の1次演算子に對して固有値および固有函數というものが存在するかどうか,また存在すると、すればどうやってそれらを見つけるか,という問題はまだ考えていなかった.この問題は一般には非常にむつかしい.けれどもうまく解くことのできる特別な場合が一つあってそれがなかなか役にたつ.というのは實の1次演算子をたとえばとすると,が代數方程式

を滿足する場合である.ここで係數はただの數である.この方程式の意味は,いうまでもなく,演算子をどんなケット・ベクトルあるいはブラ・ベクトルに施しても零という結果が生ずるということである.

 (17)がの滿足する最も簡單な代數方程式であるものとしよう.すると次のことがわかる:

 () の固有値の個數はである.

 () の固有ケットがある個數存在し,どんなかってなケットをとってもそれらの固有ケットの和として表わすことができる.

 代數式は個の1次因子に分解できてその結果は,たとえば,

となる.ここでcはただの數であるが,すべてのcが互に異なるということは別に假定していない.この因數分解はが1次演算子であっても,が普通の代數の變數である場合と全く同樣に實行することができる.それは(18)の中にはと交換しないものは何も現われてこないからである.をで割ったときの商をとする.從って

すると,どんなケットに對しても

ところでがすべてのケットに對して零であるということはあり得ない.もしそういうことがあれば,自身が零となることになり,從ってが次の代數方程式を滿足することになって,(17)がの滿足する最も簡單な方程式であるとした假定と矛盾することになるからである.が零とならないようにを選べば,方程式(19)はがの固有ケットで固有値に屬していることを示している.この議論はの値のからまでのどれにもあてはまる.ゆえにのそれぞれがの固有値である.これ以外の數がの固有値となることはあり得ない.というのは,がある固有値で固有ケットに屬するものとすれば

となるので,

が導かれ,左邊は零であるからでなければならないからである.

 ()を完全に證明するためには,これらのがみな互に異なることを確かめなければならない.いま假にのすべてが異なる數というのではなく,たとえばとして,が囘現われるものと假定してみよう.この時は

という形をとる.ただしはの有理整函數である.すると方程式(17)から,どんなケットに對しても

はの固有値であるから實數でなければならず,從っては實の1次演算子である.そこで方程式(20)は方程式(8)と同じ形であっての代わりにと置きの代わりにと置いたものである.方程式(8)についての定理から考えて

となることが結論できる.ケットは全くかってに取れるのであるから

となるが,これは(17)がの滿足する最も簡單な方程式であるという假定に矛盾する.ゆえにすベてのは互に異なることになって()が證明された.

 代數式のの代わりにを入れたときに得られる数をとする.すべてのは互に異なるのであるから,が零となることはあり得ない.そこで,

という式を考えて見る.この式での代わりにを代入すると,その和の中の項は,の項一つを除いてすベて零となってしまう.それは,のときはの中にはという因子が含まれているからである.そして,の項は1になるのであるからこの式は全體としては零となってしまう.こういうわけで(21)式はを個の數のどれかに等しいと置けば零になる.ところがこの式はについて次にすぎないから,これは恒等的に零でなければならない1).そこでこの1次演算子(21)をかってなケットに施して結果を零に等しいとおくと,

が得られる.ここで右邊の和の中の各項は,もし零とならなければ,(19)によりの固有ケットである.方程式(22)は從って任意のケットをの固有ケットの和として表わしたものである.こうして()が證明された.

 簡單な例として

という方程式を滿足する實の1次演算子を考えてみよう.この時は二つの固有値ととをもっている.任意のケットは

と表わすことができる.たやすく確かめられるように,この式の右邊の二つの項は,それが零にならない場合には,の固有ケットでそれぞれ固有値およびに屬するものである.


  1. ‘eigen’(固有)という代わりに‘proper,ということばが用いれることもあるが,これは感心しない.‘Proper’および‘improper,ということばが別の意味で用いられることが多いからである.たとえば§15および§46では‘improper function’(廣い意昧での函數)および‘proper energy’(本来のエネルギー)ということばが用いられている. ↩

2016年1月17日日曜日

8.共役の關係

8.共役の關係

 上に述べてきた1次演算子は複素量である.なぜなら1次演算子には複素數を掛けることができて,その結果前とは違うが性質は同じ量が得られるからである.それゆえ1次演算子は一般には複素數の力學變數,すなわち座漂や速度などを變數とする複素函數に對應するはずである.そこで實數の力學變數に對應する1次演算子はどんな種類のものであるかを調べるために理論をもう少し發展させる必要がある.

 に對して共役虛なケットを考えよう.このケットはと反1次的な關係にあり,從ってとは1次的な關係にある.そこでこれは何かある1次演算子をに施した結果であると考えることができる.この1次演算子はのアジョイントと呼ばれるものであって,これをで示すことにする.この記號を用いるとに共役虛な量はである.

 第I章の公式(7)での代わりにと置き,の代わりにその共役虛の量と置いてみる.その結果は

である.これはどんなケット・ベクトル,,どんな1次演算子に對しても成りたつ一般公式であって,アジョイントの性質の中で最も多く用いられるものの一つを表わしている.

 (4)での代わりにとおくと

が得られる.但し(4)のととを入れかえてもう一度用いたのである.これはどんなケットに對しても成りたつから,第I章の(4)から考えて,

であると結論される.そしてこの關係がどんなブラ・ベクトルに對しても成りたつことを考えれば,

であると結論される.從って,1次演算子のアジョイントのアジョイントはもとの1次演算子である.アジョイントにこの性質があるため,それはただの數に對する共役複素數と似ている.そしてたやすく確かめられるように1次演算子がただの數であるような特別の場合には,それのアジョイントは共役複素數である.こういう點からすると1次演算子のアジョイントは力學變數の共役複素量に對應すると假定するのが合理的である.1次演算子のアジョイントにこのような物理的意味がつくので,アジョイントという代わりに共役複素1次演算子と呼んでもよい.このなまえはここに用いたという記號とよく合っている.

 ある1次演算子がそのアジョイントと等しいこともある.そしてこの時にはセルフ・アジョイントであるという.これ實數の力學變数に對應するから,セルフ・アジョイントという代わりに實の1次演算子と呼んでもよい.どんな1次演算子でもそれを實部分と純虛部分とに分けることができる.こういうわけで1次演算子には‘共役虛’ということばでなしに‘共役複素’ということばが使えるのである.

 二つの1次演算子の和の共役複素量は明らかにそれらのそれぞれの共役複素量の和である.二つの1次演算子およびの積の共役複素量を得るには,第I章の公式(7)で

と置いたものを適用する.その結果は(4)により

である.これがどんなやに對しても成りたつことから考えて,

であると結論される.從って二つの1次演算子の積の共役複素量はその因子の共役複素量を逆の順序に並べた積に等しい.

 この結果の簡單な例として注意しておきたいのは,およびが實であってもは一般には實でないことである.これは古典力学との重大な違いである.しかしながら,は實であり,またも實である.ととが交換する場合に限って自身もやはり實となる.さらにまた,が實であればも實であり,もっと一般的にいうと,をかってな正の整數としても實である.

 三つの1次演算子の積の共役複素量を求めるには,それらの內の二つの積の共役複素量に對してあてはまる規則(5)を順順に適用すればよい.すると

となる.すなわち三つの1次演算子の積の共役複素量はその因子の共役複素量を逆の順序に掛け合わせた積に等しい.この規則をもっとひろげて,1次演算子をかってな個數だけ掛けた場合にあてはめるのもたやすいことである.

 前の節でという積が1次演算子であるということを知ったが,これに對する共役複素量を求めるには,直接にアジョイントの定義によればよい.を一般のブラに掛けるとが得られるが,それに共役虛なケットは

である.ゆえに

 積の共役複素量と共役虛の量とについて今までいくつかの規則を求めてきた.すなわち第I章の方程式(7),この章の方程式(4),(5),(6),(7),それからの共役虛の量はであるという規則である.これらの規則はすべて次のようなただ一つの廣い規則にまとめることができる.ブラ・べクトル,ケット・ベクトルおよび1次演算子のどんな積でも,その共役複素量あるいは共役虛の量を作るには,それぞれの因子の共役複素量か共役虛の量をとって,それらすべてを逆の順序に掛け合わせればよい.この規則は全く一般的に成りたつものであって,さきに特にあげておいた以外の場合にも成りたつことがたやすく確かめられる.

 定理.が實の1次演算子であり,ある特定のケットに對して

であるとする.但しはある正の整數である.すると必ず

 この定理を證明するには,まずの場合をとる.すると方程式(8)から

が得られる.これはケットにその共役虛のブラを掛けたものが零であることを示している.第I章の假定(8)での代わりにと置いてみれば,が零でなければならないことがわかる.これで定理はに對しては證明された.

 次にとし,

とおく.すると方程式(8)から

が得られる.そこでこの定理のとした場合を適用すると

すなわち

が得られる.(8)から方程式(9)を出した手順を繰り返すと,次々に

が得られるので,定理は一般的に證明されたわけである.

2016年1月16日土曜日

7.1次演算子

II 力學變數とオブザーバブル

7.1次演算子

 前の節では,ケット・ベクトルの1次函數になっているただの數を考え,それから出發してブラ・ベクトルという槪念に達したが,今度はケット・ベクトルの1次函數になっているケット・ベクトルを考えることにする.これから出發すると1次演算子という槪念に達するのである.

 いまケットがケットの函數になっている,つまりいろいろなケットにそれぞれ一つずつケットが對應しているものと想像しよう.そしてさらにこの函數が1次函數であるとしよう.という意味は,に對應するは,に對應するとに對應するとの和であり,をかってな數因子として,に對應するはに對應するの倍となることである.これらの條件があれば,からへ移ることは,にある1次演算子を施すことと見なしてもよい.1次演算子を表わす記號としてを用いることにすれば,

と書いてよい.この式ではをに施した結果をととの積のように書いてある.こういう積を書くにはケット・ベクトルはいつでも必ず1次演算子の右側におくという規則にきめておく.すると上に述べた1次函數の條件は次の方程式で表わされる:

ある1次演算子をどんなケット・ベクトルに施した結果もすベて與えられている時には,この1次演算子は完全に定義されているものとみなす.從ってある1次演算子をどんなケットに施してもその結果がすべて零となるならば,その1次演算子は零と見なさねばならないし,二つの1次演算子をどんなケットに施してもすべて同じ結果を生ずるときには,それら二つの1次演算子は等しいと見なさねばならない.

 1次演算子は互に加え合わせることができる.ただし二つの1次演算子の和の定義としては,ある一つの1次演算子で,それをどんなケットに施しても,その結果がもとの二つの1次演算子を別別に施して生ずるケットの和になっているものをとる.從っては,

がどんなに對しても成りたつということで定義される.方程式(2)と方程式(1)の第1の式とから,1次演算子とケット・ベクトルとの積は掛け算の分配の公理を滿足することがわかる.

 1次演算子はまたいくつか互に掛け合わせることもできる.ただし二つの1次演算子の積の定義としては,ある一つの1次演算子で,これをどんなケット・ベクトルに施しても,その結果がもとの二つの1次演算子を次次に施したときと同じになるものをとる.從ってを定義するには,ある一つの1次演算子で,それをどんなケットに施しても,その結果,にまずを施し,次にこの初めの演算の結果にを施して得られるはずのケットを與えるものといえばよい.記號で書けば

この定義はおよびの3重の積について,掛け算の結合の公理の形をしている.それゆえこの3重の積を括弧なしでと書いてもさしつかえない.しかしながらこの3重の積は,にまずを施し次いでを施して得られる結果と一般には等しくない.つまりは一般にはと異なり,從ってまたはと一般には異なるはずである.1次演算子に對しては掛け算の交換の公理は成りたたない.特別な場合としては二つの1次演算子 とをとると,ととが等しいこともある.この場合はと交換する,あるいはととが互に交換するという.

 上に述べた1次演算子を加え合わせる手續きと掛け合わせる手續きとをくり返して行うと,二つ以上の1次演算子の和と積とを作ることができ,さらに進んで1次演算子の代數を作りあげることができる.この代數では,掛け算の交換の公理は成りたたないし,また二つの1次演算子の積が零であってしかもその因子はどちらも零ではないということも起る.しかし普通の代數のその他の公理は,掛け算の結合の公理や分配の公理をも含めて,すベて成りたっている.これはたやすく確かめられる通りである.

 ただの數をとってこれをケット・ベクトルに掛けるとき,この數をケット,ベクトルに施した一つの1次演算子と見なしてもよい.つまり條件(1)での代わりにと書いたものが滿足されるからである.從ってただの數は1次演算子の特別の場合である.この1次演算子はすべての1次演算子と交換するという性質をもっており,この性質が一般の1次演算子と異なるところである.

 いままでは1次演算子をケット・ベクトルだけに施すものと考えてきたが,これらの1次演算子をブラ・ベクトルにも施せるものとしてその意味をつけることができる.それには次のようにする.ケットと任意のブラとのスカラー積をとってみるこのスカラー積はと1次關係にあり,從ってブラの定義から,と何かあるブラとのスカラー積であると考えることもできる.こうして一つのブラを定義すると,それはと1次關係にある.從ってこのブラはある1次演算子をに施した結果であると見なしてもよい.この1次演算子はもとの1次演算子をきめればただ一通りにきまるものであるから,同じ1次演算子をブラに施したのであるといってもうなずけることであろう.こういう仕方で1次演算子をブラ・ベクトルにも施せるようにするのである.

 をブラに施した結果得られるブラを表わす記號としてはが適當である.なぜならこの記號を用いるとを定義する方程式は,を任意のケットとして,

となるが,これは單にの3重の積について掛け算の結合の公理を表わしたものであるからである.從って一般的な規則として,ブラと1次演算子との積ではブラはいつでも必ず左側に置くものとする.こうなるとおよびの3重の積を,括弧を取り去って簡單にと書くことができる.たやすく確かめられるように,掛け算の分配の公理がブラと1次演算子との積に對しても成りたっている.そのことは1次演算子とケットとの積の場合とちょうど同じである.

 上に述べた形式を用いるとき積としての意味をもつものがもう1種類ある.それはすなわちケット・ベクトルとブラ・ベクトルとの積で,のようにケットを左側に置いたものである.この積を調べるために,それを任意のケットに掛けて見よう.ただしそのケットを右側におき,掛け算の結合の公理を假定する.すると積はとなり,これはまた別のケットつまりにただの數を掛けたケットである.そしてこのケットはと1次的な關係にある.こういうわけではケットに施すことのできる1次演算子と見られる.これはまたブラにも施すことができて,ブラを左から掛けたものはとなるが,これはブラをただの數倍したものである.という積は,同じ因數を逆の順に並べた積とは,はっきり區別しなければならない.積の方は,いうまでもなく,ただの數である.

 以上でブラ・ベクトル,ケット・ベクトルおよび1次演算子の3種の量を含む完全な代數的形式ができあがった.これらの量は上に論じたいろいろなやり方で掛け合わせることができ,掛け算の結合の公理および分配の公理はいつでも成りたっているが,掛け算の交換の公理は成りたたない.この一般的な形式でも前の節で述べた記號の規則はやはり成りたっていて,左に右にを含む完全な括弧式はただの數を表わし,これに對してかだけを含む不完全な括弧式はベクトルを表わしているのである.

 この形式の物理的意味については,すでに假定を設けて,ブラ・ベクトルおよびケット・ベクトルが,というよりこれらのベクトルの方向が,ある特別の時刻に力學系のとる狀態に對應しているものとしておいた.今度はさらに,1次演算子はその時刻での力學變數に對應すると假定を設ける.力學變數という意味は粒子の座漂や速度の成分,運動量や角運動量.およびこれらの量の函數のことである——實際これらは古典力學を作りあげるのに用いられているものと同じ變數である,新しく設けた假定の要求するところは,これらの量が量子力學にも現われるが,そこには著しい差異があって今度はそれらの變數は掛け算の交換の公理が成りたたないような代數に從うということである.

 力學變數に對して成りたつ代數が異なるということは,量子力學が古典力學と異なっている最も重要な點の一つである.あとでわかるように,この根本的な差異があるにも拘らず,量子力學の力學變數とそれに相當する古典論の變數との間にはやはり共通な性質がたくさんあり,量子力學の力學變數についての理論を古典論とよく似た形に,しかも古典論をみごとに一般化した形に作りあげてゆけるのである.

 力學變數とそれに對應する1次演算子とを表わすのに同じ文字を用いるのが便利である.實際,力學變數とそれに對應する1次演算子とがどちらも同じものであると考えても混亂に陷ることはない.

2016年1月15日金曜日

6.ブラ・ベクトルとケット・ベクトル

6.ブラ・ベクトルとケット・ベクトル

 どんな數學的理論においても,一組のベクトルがあるときにはいつでも必ずもう一つ別の組のベクトルをつくりあげることができるが,これを數學者はデュアル・ベクトルとよんでいる.デュアル・ベクトルを作る手續きを,もとのベクトルがいま考えているケット・ベクトルである場合について述べてみよう.

 いま,あるケット・ベクトルの函數であるという數があるものとしよう.すなわちケット・ベクトル のそれぞれに對して一つの數が對應しているとするのである.さらにその函數は1次函數であるとしよう,という意味は,に對應する數はに對應する數とに對應する數との和であり,をかってな數因子としてに對應する數はに對應する數の倍となることである.するとこの時どのに對應する數をとっても,それはと何か新しいベクトルとのスカラー積と見なすことができる.つまりケット・ベクトルの1次函數の一つ一つに對してこの新しいベクトルが一つずつ存在することになる,をこのように見なしてよいという根據は,後にわかることであるが(方程式(5)および(6)を見よ),新しいベクトルはそれらを互に加え合わせたりそれらに數を掛けたりすることができて,その結果同じ種類に屬する別のベクトルを生ずるからである.これらの新しいベクトルの定義に用いられているのは,もちろん,もとのケット・ベクトルとのスカラー積を作ったときに與えられた數になるということだけであるが,これらのベクトルについて數學的な理論を作りあげてゆく上にはこの定義で充分である.

 この新しいベクトルのことをブラ・ベクトルあるいは單にブラとよびケット・ベクトルの記號を鏡に寫した像のという記號を用いて表わすことにする.ブラ・ベクトルの內の特定のものをたとえばという目印をつけて區別しようと思えば,それを眞ん中にはさんでとする.ブラ・ベクトルとケット・ベクトル とのスカラー積はと書く.つまりブラ・ベクトルの記號とケット・ベクトルの記號とを並べたもので,ブラ・ベクトルの記號を左におき,縱の線が2本になるのを簡單のために1本に減らしてある.

 およびの記號は一種獨特な括弧(ブラケット)と見なしてもよい.するとスカラー積は完全な括弧(ブラケット)式,ブラ・ベクトルあるいはケット・ベクトルは不完全な括弧(ブラケット)式と見られる.こうして次の規則を得る:完全な括弧(ブラケット)式はすべてただの數を表わし不完全な括弧(ブラケット)式はすべてベクトルを表わす.ただし括弧(ブラケット)の第1の部分をとるか第2の部分をとるかに應じて,そのべクトルの種類はブラまたはケットである.

 ととのスカラー積が の1次函數であるという條件は,記號で書けば

と表わされる。但しはただの數である.

 ブラ・ベクトルは,それとすべてのケット・ベクトルとのスカラー積が與えられれば,完全に定義されたものと考えられる.從ってあるブラ・ベクトルとすべてのケット・ベクトルとのスカラー積がみな零となるならば,そのブラ・ベクトル自身が零であると考えなければならない.記號で書くと,

 二つのブラ・ベクトルととの和を定義するには,どんなケット・ベクトルとのスカラー積を作っても,それがととのスカラー積および ととのスカラー積の和になるという條件を用いる.すなわち

またブラ・ベクトルとただの數との積を定義するには,どんなケット・ベクトルとスカラー積を作っても,それがととのスカラー積の倍であるという條件を用いる.すなわち

方程式(2)と(5)とが示すようにブラ・ベクトルとケット・ベクトルとの積は掛け算の分配公理を滿足している.また方程式(3)と(6)との示すように數因子の掛け算は普通の代數の公理を滿足している.

 ここで新しくとり入れたブラ・ベクトルはそのままではケットとは全く異なる種類のベクトルであって,今までのところブラとケットとの間を結びつける關係はそれら2種のベクトルのスカラー積が存在すること以外には何もない.そこでこんどは次のような假定を設ける:ブラとケットとの間には1對1の對應がついていて,に對應するブラはに對應するブラとに對應するブラとの和であり,に對應するブラはに對應するブラの倍であるものとする.但しはの共役複素數である.そしてこれから先は,あるケットとそれに對應するブラとを書き表わすのに同じ目印を用いることにする.すなわちに對應するブラのことをと書くことにする.

 一つのケット・ベクトルとそれに對應するブラ・ベクトルとの間にこのような關係をつけたのであるから,それらの一方を他方の共役虛のベクトルと呼ぶのが合理的である.われわれの考えているブラ・ベクトルとケット・ベクトルは複素量である.それはこれらに複素數を掛けることができて,その結果はもとと性質が變わらないからである.しかしブラおよびケットは特別な種類の複素量であって,それを實數の部分と虛數の部分とに分けることはできない.ある複素量の實數部分を求める普通のやり方は,その量自身とその共役量との和の半分をとるのであるが,それはここには應用できない.というのはブラとケットとは異なる性質をもつベクトルであって,それらを加え合わせることはできないからである.この差異に注意してもらうために,ただの數やその他の,實數部分および虛數部分に分けられる複素量に對しては’共役複素’ということばを用い,そういう分け方のできないブラ・べクトルおよびケット・ベクトルに對しては’共役虛’ということばを用いることにする.第1の種類のものについては,そういう量の一つに共役複素なものを作るには,その上に橫棒を引く記號法を用いることにする.

 ブラ・ベクトルとケット・ベクトルとの間に1對1の對應があるから,ある特定の時刻に考えている力學系のとるどの狀態もブラ・ベクトルの方向を用いて指定できる.このことはケット・ベクトルの方向を用いるのと少しも變わりがない.實際,理論の全體がそのかんじんの點でブラとケットについて對稱的に作られてゆくのである.

 かってな二つのケット・ベクトルととが與えられたときに,その一方のベクトル と,他方のベクトル に共役虛なベクトルとのスカラー積をとればただの數 を作りあげることができる.この數は とは1次的な關係にあり とは反1次的な關係にある.反1次的な關係という意味は, から作られる數は, から作られる數と から作られる數との和であり, から作られる數は から作られる數の 倍であるということである.またもう一つ別のやり方でも, とは1次的な關係にあり とは反1次的な關係にある數を作りあげることができる.それは の共役虛ベクトルと とのスカラー積を作り,そのスカラー積の共役複素數をとることである.そこでこれらの二つの數がいつでも等しいことを假定する.すなわち

この式で とおくと という數は實數でなければならないことがわかる.さらにまた, の場合を除いては

という假定を設ける.

 普通の空間ではかってな二つのベクトルから,ただの數――二つのべクトルのスカラー積――を作りあげることができる.そしてその數は實數であり,二つのベクトルについて對稱である.ブラ・ベクトルの空間またはケット・ベクトルの空間ではかってな二つのベクトルからやはりただの數――一方のベクトルに共役虛なベクトルと他方のベクトルとのスカラー積――を作りあげることができる.ただしこの數は複素數であり,二つのベクトルを入れかえると共役複素數に變わる.こういうわけで,ブラ・ベクトルやケット・ベクトルの空間にもある意味で垂直なベクトルというものが考えられるのであって,これは普通の空間での垂直なベクトルという考えを一般化したものである.あるブラ・ベクトルとあるケット・ベクトルとのスカラー積が零である場合にそれらは直交しているといい,また二つのブラあるいは二つのケットがあるときに,一方に共役虛なベクトルと他方のベクトルとのスカラー積が零である場合には,それらのベクトルは直交しているということにする.さらにまた,考えている力學系の二つの狀態に對應するベクトルが直交している時には,それらの狀態は直交しているということにする.

 あるブラ・ベクトル またはそれに共役虛なケット・ベクトル の長さは という正の數の平方根として定義される.一つの狀態が與えられてそれに對應するブラ・ベクトルまたはケット・ベクトルを作りあげたい時には,ベクトルの方向だけが與えられているわけであって,ベクトル自身には任意の數因子だけの不定さがある.この數因子をベクトルの長さが1になるように選ぶのが便利であることが多い.この手續きを規格化とよび,このように選んだべクトルは規格化されているという.ところがこうしてもベクトルはまだ完全に定まってはいない.それはこのベクトルにまだ絕對値1のかってな數,つまり を實數として というかってな數を掛けても,その長さが變わらないからである.このような數のことを位相因子とよぶことにする.

 上に述べてきたいくつかの假定によって,ある力學系が特定の時刻にとる狀態の間の關係について完全な形式が整った.これらの關係は數學的な形で現われているが,その中には物理的な條件が含まれているのである.そして理論をさらに發展させてゆくと,これらの物理的條件から,觀測に關係したことばを用いて表わせるような結果が導かれるのである.たとえば二つの狀態が直交しているという場合に,それはいまの所では上の形式の中のある方程式を意味するに過ぎないけれども,この方程式は,狀態の間にある種のきまった物理的關係が成りたつという意味を含んでいるのであって,理論をさらに發展させると,その關係をわれわれは觀測結果を用いて解釋できるようになるのである(47ページの中ほどを見よ).

2016年1月14日木曜日

5.重ね合わせの原理の數學的な定式化

5.重ね合わせの原理の數學的な定式化

 物理學者が自分たちの硏究題目の數學的な基礎についていだいていた見解にはこの世紀の間に深刻な變化が生じた.以前には物理學者たちは,ニュートン力學のいろいろな原理が物理現象全體を書き表わすための基礎となるものであって,理論物理學者の仕事はそれらの原理を適當に發展させまた應用することに盡きると考えていた.ところがニュートン力學およびその他古典的ないろいろの原理が,實驗的に確かめられた領域の外でも成りたつとしてよい理由は,論理的にいえば何一つないということが認識されるとともに,これらの原理から離れることが實際必要であると了解されるようになった.古典的な原理からどう離れるかというと,それは,新しい數學形式,公理および運算規則の新しい體系を理論物理學の方法の中へ持ち込むという形でおこなわれるのである.

 量子力學はそういう新しい考え方の良い例を與えるものである.量子力學では力學系の狀態と力學變數とを,古典論の見地からでは理解し難いようなまったく奇妙なやり方で,互に結び合わせねばならない.狀態と力學變數とは,普通に物理學で用いるものと異なる性質の數學的な量で表わさねばならない.新しい形式が物理學の精密な理論となるためには,これらの數學的な量を規定する公理と運算の規則とがすべてはっきりと指定され,さらに物理的事實と數學的形式とを結びつける一定の法則が定められ,その結果,かってな物理的條件が與えられたとき,それから數學的な量の間の方程式をたてることと,その逆のこととができるようになればよい.理論を應用する際には,一定の物理的な知識を與えられて,それらを數學的な量の間の方程式によって表わすことへと進む.それから公理と運算規則との助けをかりて新しい方程式を導き,それらの新しい方程式を物理的な條件として解釋して結論を下すのである.こういう全體の形式が正當であるかどうかは,内部に矛盾を含まないことのほかに,最後の結果が實驗と合うかどうかによってきまる.

 この形式を作りあげる手始めとして,ある一つの時刻での力學系のいろいろな狀態の間の數學的な關係を取り扱うことにする.それらの關係は重ね合わせの原理を數學的な形にまとめれば出てくるものである.重ね合わせの手續きはある種の加え算の手續きであって,いくつかの狀態を何か適當なやり方で加え合わせれば新しい狀態が生ずることを意味している.從って狀態に結びつけられる數學的な量というものは,それらを加え合わせることができて,その結果は同じ種類に屬する別の量になるような種類のものでなければならない.このような量の內で最もわかりやすいものはベクトルである.有限個の次元の空間內に存在する普通のベクトルでは,量子力學のたいていの力學系に對してまだ一般性が足りない.そこで一般化を行って,無限個の次元をもった空間內のベクトルを考える必要があり,その數學的な取り扱いは收れんの問題のために複雑になる.しかしさしあたって,ベクトルの一般的性質,つまり簡單な公理系に基づいて導き出される性質をいくつか取りあげるだけにしよう.そして收れんの問題やそれに關係した題目には必要が起るまでは立ち入らないことにする.

 こうして量子力學では力學系にベクトルを結びつけて考えるのであるが,このベクトルについて,有限個の次元の空間內のものでも無限個の次元の空間內のものでも,これをいい表わすのに何か特別のなまえが欲しいものである.そこでこういうベクトルをケット・ベクトルまたは單にケットとよび,一般のケットのことを特別な記號で表わすことにする.ある一つの特定のケットをたとえばという目印をつけて區別したいときはそれを間にはさんでとする.この書き方が適當なものであることは,この形式をだんだん發展させてゆくにつれて明らかになる.

 ケット・ベクトルは,複素數を掛けたり,また互に加え合わせたりすることができて,その結果別のケット・ベクトルを生ずる.たとえば二つのケット・ベクトルととから

を作ることができる.ここにととはかってな二つの複素數である.またもっと一般的な1次演算をケット・ベクトルに施すこともできる.たとえばケット・ベクトルの無限の系列を加え合わせるなどの演算である.そしてまた,ある領域内のあらゆる値を取りうるパラメーターに關係し,を目印として表わされるというケット・ベクトルがある場合には,これをについて積分することができて,その結果別のケット・ベクトルが得られる.これをたとえば

と書くことにする.あるケット・ベクトルが他のいくつかのケット・ベクトルを1次的に結びつけたもので表わされるならば,このケットはそれらのいくつかのケットに從屬しているという.また一組のケット・ベクトルが獨立であるとよばれるのは,その內のどの一つをとってもそれが他のものを1次的に結びつけたものでは表わされない場合である.

 ここで次の假定をする:ある特定の時刻における力學系のどんな狀態もそれぞれが一つのケット・ベクトルに對應している.そしてこの對應の仕方は次のようである.狀態が他のいくつかの狀態の重ね合わせの結果生ずる場合には,その狀態に對應するケット・ベクトルもそれらのいくつかの狀態に對應するケット・ベクトルを1次的に結びつけて表わされ,そしてこの逆も成立する.この假定によれば,狀態に對應するケット・ベクトルが(1)の式で結びついている場合には,狀態は狀態ととの重ね合わせから作られることになるのである.

 上の假定から重ね合わせをする際に成りたついくつかの性質が導かれる.實際それらの性質があってはじめて‘重ね合わせ’ということばにふさわしいといえる.二つあるいはそれ以上の狀態を重ね合わせる時には,それらをどんな順序で重ね合わせてゆくかは問題にならないから,重ね合わせは重ね合わされる狀態について對稱に行われる.また方程式(1)からわかるように(係數またはが零である場合は別として)狀態が狀態ととの重ね合わせで作られるならば,狀態はととの重ね合わせで作られ,はととの重ね合わせで作られる.重ね合わせの關係は三つの狀態 のすべてについて對稱である.

 ある狀態が他のいくつかのきまった狀態の重ね合わせの結果になっているとき,この狀態はそれらの狀態に從屬しているという.もっと一般的にいえば,ある狀態が有限個または無限個の狀態の組に從屬しているというのは,この狀態に對應するケット・ベクトルが,それらの狀態の組に對するケット・ベクトルに從屬している場合のことである.一組の狀態が獨立であると呼ばれるのは,その組の內からどの狀態をとってもそれが殘りのものに從屬していない場合である.

 重ね合わせの原理を數學的な形にまとめ上げてゆくために,もう一つ假定を持ち込まねばならない.すなわち,ある狀態をそれ自身と重ね合わせても何も新しい狀態を作ることはできず,もとの狀態がもう一度現われるにすぎない,という假定である.もとの狀態がケット・ベクトルに對應するならば,その狀態を自分自身と重ね合わせた結果得られる狀態は,ととをただの數として,

に對應するであろう.ところでとなることもあるかも知れない.この場合には重ね合わせを行うと二つの成分が干渉の効果で互に打ち消してしまい,結果はぜんぜん何もなくなる.この特別な場合を別にすれば,重ね合わせの結果として生ずる狀態は,上に新しく設けた假定からの要求によりもとの狀態と同じでなければならず,從って に對應する狀態はに對應する狀態と同じでなければならない.ところがはかってな複素數であるから次のように結論できる.ある狀態に對應するケット・ベクトルに零でないかってな複素數を掛けると,その結果生ずるケット・ベクトルは前と同じ狀態に對應する.こういうわけで狀態はケット・ベクトルの方向により定められるもので,ケット・ベクトルをどんな長さに決めようとそれにはかかわりがない.力學系のあらゆる狀態はケット・ベクトルのあらゆる可能な方向と1對1の對應をする.ただし,ケット・ベクトルととの方向の間に區別をつけないものとする.

 すぐ上で設けた假定を見れば,量子論の重ね合わせが古典的な重ね合わせのどんなものとも根本的に異なることが非常にはっきりとわかる.重ね合わせの原理が成りたつような古典論の體系の場合,たとえば振動する膜の場合には,ある狀態を自分自身と重ね合わせるとその結果はもとと異なる狀態であって,もとと異なる大きさの振動をしている.ところが量子狀態の物理的な特微の中には古典的な振動の大きさに相當するものは何もない.(膜の異なる點での振幅の比を用いれば振動の性質が表わされるが,振動の大きさという意味はこれとはまた別である.)また,いたるところ振動の振幅が零という古典的な狀態すなわち靜止の狀態は存在するけれども,量子論の體系にとってはこれに相當する狀態は何も存在しない.零のケット・ベクトルに對應する狀態はないからである.

 ケット・ベクトルととに對應する二つの狀態が與えられると,それらを重ね合わせて作られる一般の狀態はあるケット・ベクトルに對應する.このは二つの複素數すなわち方程式(1)の係數ととによって定められる.これら二つの係數に同じ因子(それ自身複素數)を掛けてやれば,ケット・ベクトルにはこの因子が掛かることになってこれに對應する狀態は變化しない.こういうわけで二つの係數の比だけが狀態 を定める上にきいてくる.それゆえこの狀態は1個の複素數あるいは2個の實數のパラメ一ターによって定められる.こういうしだいで,二つの狀態が與えられたときには,重ね合わせによって2重の無限大だけの異なる狀態を作ることができるのである.

 この結果は§2と§3とで論じた例を用いて確かめられる.§2の例では1個の光子に對してちょうど2個の獨立したかたよりの狀態がある.その二つの狀態として,あるきまった方向に平行な直線と垂直な直線との方向にかたよった狀態をとっておいてよい.そしてこの二つの狀態の重ね合わせから2重の無限大だけのかたよりの狀態が得られる.すなわち楕圓形にかたよったすべての狀態が得られる.その狀態の一般のものを表わすには2個のパラメーターが必要なのである.また§3の例では1個の光子に對する2個の與えられた進行の狀態の重ね合わせから2重の無限大だけの進行の狀態が得られる.その生じた狀態の一般の形は二つのパラメ一ターで表わされる.そしてそのパラメーターとしては加え合わせた二つの波動函數の振幅の比とそれらの間の位相の關係をとることができる.このことを確かめておくと,方程式(1)で係數に複素數を許しておく必要がはっきりする.もしも、これらの係數を實數に限っておけば,ととが與えられたとき合成ケット・ベクトルの方向を定める上に重要なのはこれらの係數の比だけであるから,重ね合わせによって得られる狀態の數はただ1重の無限大にすぎなくなってしまうのである.

2016年1月13日水曜日

4.重ね合わせと不確定の性質

4.重ね合わせと不確定の性質

 讀者は,光子の存在を光の古典理論とうまく調和させようとして試みた前の2節のやり方に,あるいは不滿を感じておられるかも知れない.諸君の議論は次のようなものであろうか.すこぶる奇妙な考え方が持ち込まれてきたものだ――つまり,光子は二つのかたよりの狀態のどちらにも部分的に存在すること,または互に離れた二つの光線のどちらにも部分的に存在することができるという考え方――,しかもこの奇妙な考え方の助けをかりても,基礎的な1光子の過程について滿足のゆくような像を描くことはやはりできなかったではないか,と.さらにまた,この奇妙な考え方をしたところで,それは前に論じた實驗の結果について,光子が何かばく然と波に導かれて進むという初等的な考察からでも得られる知識以上には,何一つ與えてはくれなかったではないか,といわれるかも知れない.さてそれならこの奇妙な考え方は何の役に立つのであろうか?

 第1の批判に答えて,物理學のような科學のおもな目的は像を描き出すことではなくて,現象を支配している法則を定式化し,それらの法則を應用して新しい現象を發見することにあるという點を注意しておこう.もしも像が描ければそれにこしたことはないけれども,像が描けるか描けないかは二の次の問題にすぎない.原子に關する現象の場合には普通の’像’ということばの意味での像を描けるとは期待できない.普通このことばは,本來古典論的な働きを營む模型をさしているからである.しかし‘像’ということばの意味をひろげて,基本法則が內部に矛盾を含まないことを明らかにするような見方はどんなものでもこれに含まれるという解釋をすることもできる.このように意味をひろげておけば,量子論の法則に慣れてくるにつれてだんだんと原子に關する現象の像が描けるようになってくる.

 第2の批判についていえば,光を用いた多くの簡單な實驗に對しては,光の波に光子がばく然と統計的に結びついているという初等的な理論でも結果を適切に說明することができるであろう.このような實驗の場合には量子力學を用いてもそれ以上の知識を與えることはできない.しかし大部分の實驗では條件が非常に複雜であるために,この種の初等的な理論を適用することはできず,從って量子力學が與えてくれるような手のこんだ形式が必要とされるのである.複雑な方の場合に量子力學で用いる述べ方は,簡單な場合にも應用される.この場合,實驗結果を說明するには實はそういう述べ方を用いなくても間に合うのではあるが,それをこれらの簡單な場合について學んでおくことはおそらく一般の場合に對しての手引きとして適當であろう.

 このほかに,理論の形式全體に向けられた全般的な批判がある.それは次のようなものである.古典理論では事柄がすべて決定していたのに,こんどはその性質から離れたために自然の書き表わし方が非常に複雑なものとなってしまった.これははなはだ好ましくない特徵である,というのである.書き表わし方がこうして複雜になったことは否定できない.しかしそれは狀態の重ね合わせの原理という一般的な原理が事柄を非常に簡單にしてくれるので帳消しになるのである.この原理をこれから考察することにしよう.しかしそのまえに一般の原子系の’狀態’というたいせつな槪念を精密にしておくことが必要である.

 一定の性質(質量,慣性能率など)を持ち一定の力の法則に從って互に作用している粒子あるいは物體から成る任意の原子系をとって見よう.粒子または物體の運動は力の法則と矛盾せぬ範圍でいろいろなものが可能である.これらの運動はそれぞれこの體系の狀態とよばれる.古典的な考えに從えば狀態を一つ指定するにはある時刻にこの體系を作っているいろいろな部分の座標と速度とにすベて數値を與えればよく,それで運動全體は完全に定まってしまうはずである.ところが3―4ページの議論で示したように,われわれは小さな體系を古典論で想像されるほどに詳しく觀測することはできないのである.觀測能力に制限があると,一つの狀態に屬する數値の個數も制限される.從って原子系の狀態は,ある時刻にすべての座標と速度とに完全に數値を與えたものにくらべれば,もっと數の少ないまたはもっと不確かな數値をもとにして指定しなければならないのである.この體系がただ1個の光子である場合には,§3で述べた意味での進行の狀態を與え§2で述べた意味でのかたよりの狀態を與えれば,その二つを合わせて狀態がーつ完全に指定されることになる.

 體系の狀態とはかき亂されない運動のことであると定義してよかろう.但しこの運動は理論上互に干渉や矛盾を起さをい範園で,できるだけ多くの條件や數値を與えて制限するものとする1).實際問題としては,これらの條件を課そうと思えば體系を適當に整えてやればよい.ということは,たいていはこの體系をスリットとか偏光計のようなより分ける働きをする裝置をいろいろ通してやることである.そして體系を整えた後にはかき亂さずにおくのである.’狀態’ということばは體系を整えた後のある特定の時刻の狀態をさして用いることもあり,また體系を整えた後の時間全部を通じての狀態をさして用いることもある.これらの二つの意味を區別するために,はっきりしないおそれのあるときは,後の意味の方を’運動の狀態’とよぶことにする.

 量子力學の一般的な重ね合わせの原理は任意の1個の力學系のとるいろいろな狀態の間に適用される.ここで狀態というのは上の二つの意味のどちらでもよい.この原理によると,これらの狀態の間には特別の關係があって,その結果,體系がはっきりと一つの狀態にあるばあい,いつでも,それが,部分的に,ほかの二つの狀態あるいはもっと多くの狀態にあるものとみなしてもよい,と假定せねばならない.つまりもともとの狀態は,新しい二つまたはそれ以上の狀態をある種のやり方で重ね合わせた結果と見なさなければならない.但しこの重ね合わせの仕方は古典的な考え方では想像のつかぬものである.どんな狀態をとっても,それを二つまたはそれ以上の他の狀態の重ね合わせの結果と考えることができ,しかも實にその重ね合わせの仕方は無數にたくさんあるのである.逆にどんな二つまたはそれ以上の狀態をとっても,それらを重ね合わせると一つの新しい狀態が生ずるのである.一つの狀態を他の多くの狀態の重ね合わせの結果として表わす手續きは,いつでも許される數學的な手續きであり,物理的な條件とは何の關連もなしにできることである.ちょうどそれは一つの波をフーリエ成分に分ける手續きと似たものである.もっとも,特定の場合に對してこの分解が役に立つかどうかは,考えている問題の特殊な物理的條件によって左右される.

 前の2節では1個の光子から成る體系に對して重ね合わせの原理を適用した例を述べた.§2ではかたよりについてだけ異なる狀態を取り扱い,§3では全體としての光子の運動についてだけ異なる狀態を取り扱った.

 重ね合わせの原理の結果として,どんな體系についてもそのいろいろな狀態の間には一定の關係が存在しなければならない.この關係は,われわれの用いなれた物理的な槪念ではその本質を說明し得ないような種類のものである.體系が二つの狀態のそれぞれに部分的に存在しているということを古典的な意味で想像したのでは,それが別の一つの狀態に存在していることと同じであるとはどうしても理解できない.すなわちそこにはまったく新しい考え方が含まれているのであって,この考えに慣れてしまうことが必要なのであり,そしてまたこの考えを用いて正確な數學的理論を作りあげなければならないのである.そして立入った古典論的な像を描くことはいっさいやめにするのである.

 ある狀態が他の二つの狀態から作られているときには,それはもとの二つの狀態に對して,何かばく然とした意味ではあるが,中間的な性質を持っており,重ね合わせの際にもとの一方の狀態にかけた‘重み’が多いか少ないかに従って,そちらの狀態の性質に近いものになるか遠いものになるかするであろう.重ね合わせを行う時のもとの二つの狀態の間の相對的な重みがわかり,さらに位相の差が定められれば,それで新しい狀態は完全に定義される.ただし一般の場合について重みと位相とに正確な意味をつけるには數學的理論の力をかりるのである.光子のかたよりの場合には,重みと位相との意味は古典光學の與えるのと同じものである.從ってたとえば垂直な二つの直線の方向にかたよった狀態を等しい重みで重ね合わせると,新しい狀態は位相の差に應じて右囘りまたは左囘りに圓形にかたよるかあるいはの角をなして直線的にかたよるか,さもなければ楕圓形にかたよった狀態となる.

 重ね合わせの過程が古典的な性質のものでないことは,次のような性質をもつ二つの狀態 ととの重ね合わせを考えてみれば明白になる.すなわちある一つの觀測があって,これを狀態にある體系に施すと確實にある特定の結果,たとえばが得られ,また狀態 にある體系に施すと確實にこれと異なるある結果,たとえばが得られるものとする.ところでこの觀測を,重ね合わせた狀熊にある體系に施せば結果はどうなるであろうか?

 その答は,觀測の結果はあるときは ,あるときはになる,そしてそれは重ね合わせの際のととの相對的な重みに關係した確率の法則に從って定まる,というのである.結果がとのどちらとも異なるものとなることは決してない.つまり重ね合わせによって生じた狀態が中間的な性質をもつといっても,それは,ある觀測をしたとき特定の結果が得られる確率が,もとの二つの狀態でのこれに相當する確率の中間にあるという點に現われるのであって1,觀測の結果そのものがもとの二つの狀態での觀測の結果の中間にあることにはならないのである2).

 こんなふうに考えて見ればよくわかるように,狀態の間に重ね合わせの關係を假定したりして,通常の考えから思いきって離れてしまうのは,觀測に伴なって體系がかき亂されることと,その結果として観測の結果に不定さのあることがどんなに重要であるかを充分認めた上ではじめてできることなのである.どんな原子系でもそれが與えられた狀態にあるとき觀測を行うと,一般にその結果は一定ではない.すなわち同じ條件のもとに實驗を何度か繰り返すといくつかの異なった結果がえられることがありうる.もっとも,自然の法則として,實驗を非常に多くの囘數繰り返すと,その結果特定の値はそれぞれ全體の囘數の內の一定の割合だけ得られるものであり,從ってそれぞれ一定の確率で特定の結果が得られるのである.この確率こそこれから理論を用いて計算しようとするものである.ある結果の得られる確率が1となる特別の場合にだけしか,實驗の結果は一定したものにならない.

 狀態の間に重ね合わせの關係を假定することから導かれる數學的理論では,狀態を定義する方程式は未知數について1次である.この結果として當然ひとびとは古典力學の體系との間に類推をたてようと試みた.その體系というのはたとえば振動する弦や膜などであって,それらは1次方程式に從うから,重ね合わせの原理が成りたっているのである.このような類推から量子力學は時おり’波動力學’というなまえで呼ばれるようになった.しかしながら量子力學に現われる重ね合わせは古典論に現われる重ね合わせのどれとも本質的に異なる性質のものであることを決して忘れてはならない.このことは,量子論での重ね合わせの原理にもっともな物理的解釋を與えるには,觀測結果の不定さを考えにいれる必要がある,ということからあきらかである.從って,上にのべた類推はややもすれば誤解を招きやすいものである.


  1. 重ね合わせによって生じた狀態に對して特定の結果が得られることの確率は,一般の場合には,必ずしももとの狀態についての確率の中間にはならない.一般の場合とは,もとの二つの狀態についてその特定の結果の出る確率が0でも1でもない場合のことである.從って重ね合わせて作られた狀態が’中間のもの,であるといっても,それはある制限の中での話である. ↩

2016年1月9日土曜日

3.光子の干渉

3.光子の干渉

 この節では重ね合わせの例をもう一つ論ずることにする.やはり光子を取り上げるが,そのかたよりを問題にするのではなくて空間の中の位置と運動量とを問題にすることにする.いまほぼ一定の色の光線があるとすれば,これに伴なう光子の場所と運動量とについてある程度のことはわかっている.つまりこれらの光子のおのおのは光線が通って行く空間の中のどこかにあり,その運動量は光線の方向を向き,その大きさはアインシュタインの光電法則1)――運動量は振動數とある普遍定數との積に等しいという法則――によって光線の振動數を用いて表わされることがわかっている.ある光子の場所と運動量とについて,われわれがこのような知識を持っている時には,その光子はあるきまった進行の狀態にあるということにする.

 これから光子の干涉について量子力學ではどう述べるかを論ずる.干渉を明らかに示す實驗を一つえらんで考えてみよう.光線がある種の干渉計を通ったと想像して見る.從ってこの光線は2成分に分けられ,ついでこの二つの成分が互に干渉させられるわけである.前の節と同様に,ただ1個の光子から成る入射光線をとり,この光線が裝置を通るとどんなことが起こるかを調べよう.こうすると光の波動說と粒子說とが相反するという困難がくっきりとわれわれの前に浮かび出てくる.

 かたよりの場合に用いた述べ方にならって,われわれは今度は光子が入射光線の分かれた二つの成分のおのおのの中に部分的にはいって行くというふうないい方をせねばならない2).それならば光子は,二つの成分に伴なっている二つの進行の狀態を重ね合わせて作られるある進行の狀態にある,というのが當然であろう.こういう次第で’進行の狀態’ということばは前よりも一般化された意味で光子に適用されることになるのである.光子がきまった進行の狀態にあるためには,ただ1本の光線に伴なうものである必要はなく,もとの光線を分解した成分の二つのあるいはそれ以上の光線に伴なうものであってもよいのである1.正確な數學的理論では,進行の狀態にはそれぞれ普通の波動光學の波動函數の一つが伴なっている.ところがこの波動函數は1本の光線を表わしているものとしてもよく,あるいはもとの光線を分解した2本またはそれ以上の光線を書き表わしているものとしてもよい.このようなわけで進行の狀態は波動函數と似たような仕方で重ね合わせができるのである.

 さて次に二つの成分の內の一方でエネルギーを決定したならばどういうことが起こるかを考えよう、こういう決定をすればその結果はもとの光子がそっくり見出されるか,それとも全然何も見出されないかのどちらかよりほかにはない.こんなわけで光子は,今まで部分的に一方の光線の中にあり部分的に他方の中にあったのが,突然全部一方の光線の中にあるように變るはずである.この突然の變化は觀測によって光子の進行狀態が必然的にかき亂きれるためである.二つの光線のどちらに光子が見つかるかを豫言することは不可能である.最初に光子が二つの光線にまたがって分布していた有樣から,どちらか一方の結果が現われることの確率が計算できるだけである.

 エネルギーの測定を行ないながらその光線成分を殘しておくこともできる.たとえば動きうる鏡で光線を反射させて鏡がはね返るのを觀測すればよい.光子に對して上のような述べ方をしておくと次の推定を下すことができる.つまりこういうエネルギーの測定を行なった後では2成分の間には何も干渉の作用を起させることはできないであろうということである.光子が部分的に一方の光線の中にあり部分的に他の光線の中にある限りは,二つの光線を重ね合わせると干渉を起すことができる.しかし觀測によって光子が完全に一方の光線の中へと押しやられると,この可能性は消えうせてしまう.こうなると他方の光線は,その光子を書き表わす上にもはや何の役割も演じない.従って引き續いてどんな實驗を行なってみても,光子は普通のように一方の光線の中にあるものと同じことである3).

 このような方針で量子力學は光の波動性と粒子性の調和をもたらすことができる.一番たいせつな點は,光子のいろいろな進行の狀態にそれぞれ普通の波動光學の波動函數がーつずつ伴なっていることである.進行の狀態と波動函數とが相伴なうというこの性質は,古典力學を基にした見方では理解できない全く新しいものである.光子とそれに伴なう波とが,古典力學の粒子と波と同様に,互に作用しあっているという見方をしたならばそれはまったく誤りである.この粒子と波との關係は統計的にしか理解できないものなのである.すなわち波動函數は,光子がどこにあるか觀測をしたときに,それがある特定の場所に見出される確率についての知識を與えるのである.

 量子力學の發見されるしばらく以前から,光波と光子との結びつきが統計的なものでなければならぬことはよく了解されていた.とはいえ,當時の人人にははっきり了解のできなかった點もある.それは波動函數は1個の光子がどこか特定の揚所にあることの確率についての知識を與えるものであって,その揚所に光子がいくつあるらしいかという數を與えるものではないという點である.この區別の重要なことは次のようにすれば明らかになる.たくさんの光子から成る光線が同じ强さをもつ二つの成分に分れたと想像してみる.光線の强さはその中に光子がいくつ含まれているらしいかという數に關係してきまると假定するならば,光子の總數の半分ずつがおのおのの成分にはいって行ったはずである.さてこの2成分を互に干涉させたとすれば,一方の成分に含まれる光子は他の成分の中にある光子と干涉できるものと考えなければなるまい.するとこれら2個の光子は互に消し合う場合もあり,またこれら2個の光子から4個の光子が作り出される場合もなければならないことになる.これはエネルギー保存と矛盾することになろう.新しい理論によれば波動函數は1個の光子についての確率と結びつけられているのであるが,こうしておのおのの光子を2成分のどちらにも部分的に入れてやってこの困難に打ち勝つのである.こうすれば光子はみなそれぞれ自分自身とだけ干渉し2個の異なる光子の間の干渉は決して起らないのである4).

 上に論じたような粒子と波動とが相伴なうということは光の場合に限られているものではなくて,最近の理論によれば廣く一般に適用されるものである.あらゆる種類の粒子がこのように波を伴なっており,逆にあらゆる波動が粒子を伴なっている.こういうわけですベての粒子に干渉の効果を起させることができるし,すべての波動のエネルギーは量子という形をとるのである.これらの一般的な現象がなぜもっとはっきり現われてこないかといえば,それは粒子の質量あるいはエネルギーは波の振動數に比例するという法則のためである.つまりその比例係數の値が非常に小さいので,日常に現われる振動數の波に伴なう量子は極端に小さくなり,また電子のように輕い粒子に伴なう波でもその振動數は非常に高くなって干渉を起して見せることは容易ではないからである.


  1. 重ね合わせという考えを用いるときに進行の狀態についてはそのもとの意味を一般化することが要求されるのに,前の節のかたよりの狀態についてはこれに相當した一般化の必要はなかったが,この事情は偶然のものであって,別にその基礎に理論的な意味があるわけではない. ↩

2016年1月7日木曜日

2.光子のかたより

2.光子のかたより

 前の節では,觀測を穩やかに行える程度には限りがあり,またそのため當然それらの觀測の結果に不定さが生ずることを論じたが,これだけでは量子力學を作りあげるための定量的な基礎とすることはできない.その目的のためには新しい一組の正確な自然法則が必要になってくる.これらの法則の中で最も基本的でまた最も思いきったものの一つは狀態の重ね合わせの原理である.この原理を一般的に定式化してゆくために,いくつかの特別な場合について考察を進めることにする.そしてまず光のかたよりについての例を取上げよう.

 實驗で知られているように,直線的にかたよった光を用いて光電子を放出させると,電子が特によく飛び出す方向がある.このように光のかたよりの性質は光の粒としての性質とかたく結びついているものであるから,光子にかたよりという性質を持たせてやることが必要である.たとえばある直線の方向にかたよった光線は,それぞれその直線の方向にかたよった光子から成っているし,圓形にかたよった光線は圓形にかたよった光子から成っていると考えなければならない.これから先で使う言い方をすれば,光子はそれぞれ一定のかたよりの狀態にあるのである.そこでわれわれの考えねばならぬことは,こういう考え方と,光をかたよった成分に分けまたこれらの成分を寄せ合わせることについて今までに旣に知られている事實とを,どうやって調和させるかという問題である1).

 一つきまった場合について話を進めよう.光線が電氣石の結晶を通ってくるものとしよう.この結晶はその光軸に垂直な平面内にかたよった光だけしか通さない性質を持っている.古典電氣力學によれば,さし込む光線がどの方向にかたよっていても,それに應じてどういうことがおこるかはよくわかっている.この光線が光軸の方向に垂直にかたよっていれば全部が結晶を通りぬけるであろうし,光軸に平行にかたよっていれば全然通りぬけないであろう.また軸と角 の傾きにかたよっている時には,だけの割合で通りぬけるであろう.ところでこういう結果は,光子を基にするときにはどう理解すればよかろうか?

 一定の方向の平面內にかたよった光線は,それぞれがその方向の平面內にかたよった光子からできあがっているものと見るのが當然である.こういう見方をしても,いまさし込んで來た光線が光軸に垂直か平行にかたよっている時には,別に困難は起らない.軸に垂直にかたよった光子はみな結晶に妨げられないでそのまま通りぬけるが,軸に平行にかたよった光子はみな止められて吸收されると考えておけばそれでよろしい.しかし光線が斜にかたよってさし込む場合には困難が生ずる.このときには飛び込んでくる光子はどれも斜にかたよっていて,このような光子が電氣石に當たるとどういうことがおこるかは明らかではない.

 一定の條件のもとにおかれた特定の光子にどういうことがおこるかという問は,實はあまりはっきりしたものではない.正確な問にしようと思えば,この問に關係したある實驗が行われたと想像して,その實驗の結果がどうなるかということを尋ねなければならない.實驗の結果についての問だけが實際に意味を持っており,理論物理學で考える必要があるものもこのような問だけである.

 今述べた例では,1個の光子だけから成っている光線をさし込ませて結晶の後側に何が現われるかを觀測するという實驗をすれば,事情が明らかになる.量子力學によれば,この實驗の結果は次のようになる.飛び込んできた光子のエネルギーと同じエネルギーを持った1個の光子をそっくり結晶の後側に見出すこともあり,また全然何も見出さないこともあるのである.そして1個の光子がそっくり見出される場合には,その光軸に乘直にかたよっている.光子の一部分だけを後側で見出すことは決してない.この實驗をきわめて多く繰り返せば,總囘數の內の割合で後側に光子を見つけるであろう.こういうわけであるから,光子はだけの確率で電氣石を通りぬけて軸に垂直なかたよりを持って後側に現われ,だけの確率で吸收される,といってよい.確率がこんな値になっていると,多くの光子を含んだ光線がさし込んできた場合には,古典論の結果と正しく一致したものになる.

 このようにしてどんな場合にでも光子の個體性は保たれている.しかしこのことは,どんな事柄もはっきりと定められるとした古典論の性質を捨ててしまって始めてできたことである.實驗の結果は,古典論の考え方とは異なって,實驗する人が支配できる條件によって決定されはしないのである.豫言できることは,たかだか,生じうるいくつかの結果と,それぞれのおこる確率とだけである.

 上に論じたことは斜めにかたよった光子1個が電氣石の結晶の上へ飛んでくる實驗の結果についてであるが,斜めにかたよった光子が電氣石にあたるときに起る事柄についての本當に意味のある問に對しては,すべてこの議論によって答が與えられている.光子が通りぬけるか否かは何によってきまるのかとか,通りぬける途中でかたよりの方向がどんなぐあいに變ってゆくのかといった問は,實驗で調べることができないのであって,科學の領域の外にあるものと見なさなくてはならない.とはいえこの實驗の結果と,光子を用いて行われる他の實驗の結果との間に互につながりをつけ,それらすベてを一般の形式にあてはめるためには,何かもう少し立ち入った述べ方をすることが必要である.そのような立ち入った述べ方をしても,それは科學の領域の外にある問に答えようと試みているのだなどと思ってはならない.これはむしろ,多くの實驗の結果を簡潔にいい表わす規則をまとめあげるための手助けと見なさねばならないものである.

 量子力學が與えてくれるそのような述べ方というのは次のとおりである.光軸に斜めにかたよった光子は,部分的には軸に平行にかたよった狀態にあり,部分的には軸に垂直にかたよった狀態にあると見なすものとする.斜めにかたよった狀態は,平行と垂直とにかたよった二つの狀態に,ある種の重ね合わせの手續きを施した結果と考えるものとする.ということは,いろいろなかたよりの狀態の間に一定の特別な關係があることを意味するわけである.この關係は古典光學でのかたよった光線の間にある關係に似ているが,今の場合その關係は光線に對して適用されるのではなくて,ある特定の光子のかたよりの狀態に對して適用されるのである.この關係があるので,どのかたよりの狀態も,任意の二つの互に垂直なかたよりの狀態に分けたり,あるいはそれらの重ね合わせとして表わすことが許される2).

 光子を電氣石の結晶にあてる時には,光子に對して觀測を行なっているのである.というのは,光子が光軸に平行にかたよっているか垂直にかたよっているかを觀測しているのである.この觀測を行なったことが影響して,光子は完全に平行にかたよった狀態かあるいは完全に垂直にかたよった狀態かに追いやられてしまうのである.光子はこれらの二つの狀能のそれぞれに部分的に存在していたのが,突然飛び移ってそれらのうちどちらか全く一方に存在するようになることをしいられる.光子が二つの狀態のどちらへ飛び移るかは豫言できないことで,確率の法則に從って行なわれるにすぎない.光子が平行な狀態に飛び移れば吸收されてしまうし,垂直な狀態に飛び移れば結晶を通りぬけて,そのかたよりの狀態を保ったまま他の側に現われるのである.

2016年1月5日火曜日

1.量子論の必耍

I 重ね合わせの原理

1.量子論の必耍

 古典力學はニュートンの時代からたえず發展しつづけ,それが應用される力學系の範圍もますますひろがって,物質と互に作用する電磁場までも含まれるに至っている.古典力學の基礎となる考えやその應用の仕方を定める法則は簡單できれいな形式にまとまっているので,もしこれに重大な修正を加えたならば,その魅力に富んだ特徵はすべて失われてしまうのではないかと思われるほどである.しかしながら原子の程度の大きさでの現象を書き表わすには,古典理論の形式よりももっと適切な,そしていくつかの點ではもっときれいで滿足のゆく,量子力學と呼ばれる新しい形式を作り上げることができる,ということがわかってきたのである.このことができるわけは,新しい理論に含まれる變更がきわめて根本的な性質のものであり,古典理論の大きな魅力となっていた特徵とは衝突しないからである.その結果としてこれらの特徵はすべてそのまま新しい理論の形式にとり入れられる.

 古典力學から離れる必要があることは實驗の結果から明らかに示されている.まず第一に古典電氣力學で知られている力は原子や分子が著しく安定なことを說明するには不適當であるが,そもそも物質が一定の物理的および化學的性質を持つためには原子や分子の安定さはどうしても必要である.何か新しい力を假定して用いてみてもやはり事態は救われない.それは古典力學にはあらゆる種類の力について成り立つ一般の原理がいくつかあるが,それらから觀測と直接に矛盾する結果が出てくるからである.たとえばある原子の體系のつりあいを何かの仕方でかき亂してから放っておくと,この體系は振動を始め,その振動は周圍の電磁場に傳えられてこれをゆり動かし,その結果その振動數は分光器によって觀測されることになる.そこで,つりあいを保っている力がどんなものであるにしても,いろいろな振動數をいくつかの基本振動數とその調和振動數とを含む系列にまとめることができるものと期待されよう.ところが觀測をしてみると實はそうではない.そのかわりにいろいろな振動數の間には,分光學でリッツの結合法則と呼ばれる新しい豫想外の關係が觀測されている.この法則によると,すべての振動數はいく つかの定まった項の差の形で表わされる.そしてこれらの項の數は振動數の種類よりはるかに少ないのである.この法則は古典論の立場からは全く理解し難いものである.

 古典力學から離れずにこの困難に打ち勝とうとして,分光器で觀測される振動數はどれもそれ自身一つの自由度を持つ基本振動數であると假定し,力の法則は調和振動を生じないようなものにしたら,と考えるひとがあるかもしれない.しかしこのような理論は,結合法則の說明が全くできないということを別にしても,やはりうまくゆかない.それはこういう理論は直ちに比熱についての實驗的證據と矛盾してしまうからである.古典統計力學によって,振動する系の集まりの自由度の總數とその比熱との間には一般的な關係をたてることができる1)のであるが,分光學に現われる原子の振動數がすべて異なる自由度に相當するものと假定すれば,どんな種類の物質に對しても觀測した値よりもずっと大きい比熱が得られることになってしまう.事實は普通の溫度で觀測される比熱は,それぞれの原子の全體としての運動だけを考えに入れ,內部運動は全くないものとみなす理論によってかなりよく說明されるのである.

 このことから古典力學と實驗の結果との間にまた新しいくい違いが生じてくる.原子のスペクトルを說明するには,どうしても原子にはある内部運動がなければならず,しかもその内部の自由度は,何か古典的には說明のできぬ理由のために,比熱にはあずからないのである.似たようなくい違いは眞空の中の電磁場の振動のエネルギーについても見出される.古典力學によればこのエネルギーに相當する比熱は無限大であるはずであるが,觀測の結果は確かに有限である.實驗結果からは一般に高い振動數の振動は,比熱に對して古典論で定められているだけの役割をしないということが結論される.

 古典力學ではうまくゆかないもう一つの例として,光の示す性質を考えてみよう.一方では干涉と囘折の現象があって,これは波動說を基にしなければ說明できない.他方では光電子の放出や,自由電子による光の散亂などの現象があって,これらは光が小さな粒から成りたっているということを示している.これらの粒子は光子と呼ばれるのであるが,それぞれ光の振動數に應じた一定のエネルギーと運動量とを持っており,電子その他物理學で知られているどの粒子にも少しも劣らぬ實在のものと見られるのである.光子のかけらなどが觀測されることは決してない2).

 實驗の示している所では,この異常な性質は何も光だけに限らず全く一般のものである.すべての物質粒子は波の性質を持っていて,適當な條件の下でこれを目につくようにすることができる.これこそは古典力學がだめになるきわめて著しいしかも一般性をもった例である――だめになるとは單にその運動の法則が不正確だというのではなくて,原子についての現象を書き表わすのに古典力學の槪念を用いることが適當でないということなのである.

 物質の窮極の構造を論じようとすれば古典的な考えから離れる必要のあることは,實驗で確かめられた事實からだけではなく,一般の哲學的な根據からもわかる.物質の構成を古典理論で說明しようとすれば,物質は多くの小さな構成部分からできていると考え,これらの構成部分の現わす性質についてある法則を假定しておき,それから物質全體として從う法則を導き出してゆくということになろう.しかしこれでは說明が完結したことにはならない.なぜならその構成部分の構造と安定性の問題に觸れていないからである.この問題に立ち入ろうとすれば,その搆成部分は,その現わす性質が說明できるように,いずれもそれ自身またもっと小さい部分からできていると假定することが必要になる.明らかにこういう手續きには限りがなくて,このような論法では決して物質の窮極の構造に達することはできない.大きいとか小さいとかが單に相對的な槪念にとどまる限りは,大きいものを小さいもので說明してもむだである.從って大きさに絕對的な意味を與えるように古典的な考えを改めることが必要である3).

 話がここまでくると,科學は觀測できるものだけを問題としていること,またわれわれがあるものを觀測するにはそれを何か外からの影響と互に作用させるのほかはないということを思いおこす必要がどうしてもある.觀測の行爲というものは必ずそれに伴なって觀測されるものをある程度かき亂す.あるものを觀測するとき,觀測に伴なって,それがかき亂されるのを無視してよいときには,そのものは大きいと定義しまた無視できないときにはそれは小さいと定義してよかろう.この定義は大きい小さいという普通の意味とよく合っている.

 通常は,注意深く觀測すれば觀測でかき亂される程度はいくらでも小さくできると假定されている.その場合には大きい小さいの槪念は全く相對的なもので,われわれの觀測の仕方の穩やかさとその目的物とに關係してきまる.物質の窮極の構造の理論にはどうしても大きさに絕對的な意味を與えることが必要であるが,それには次のように假定しなければならない.われわれの觀測能力の細かさには限りがあり,それに伴なってかき亂される程度の小ささにも限りがある.この限界はものの本性に根ざすものであって,觀測する人の方で技術を改良したり熟練を積んだりしても,決してその限界を越えることはできない.もしいま觀測されているものがこの避け難い限界の程度にかき亂されることを無視してよいような場合には,そのものは絕對的な意味で大きいものであり,われわれはそのものには古典力學を適用することができる.他方その限界の程度にかき亂されることが無視できないならば,それは絕對的な意味で小さいものであり,これを取扱うには新しい理論を必要とする.

 上に述べた議論からの當然の結果として,われわれは因果律の考えを改めなければならないことになる.因果律があてはまるのはかき亂されることのない體系だけである.小さな體系であると,それを觀測すればどうしても著しくかき亂されてしまうために,觀測の結果の間に因果的な結びつきを見つけることは全く期待できない.新しい理論でも,かき亂されない體系に對しては因果律が適用されると假定する.そしてかき亂されない體系を書き表わすためにたてられる方程式は,ある時刻での條件と後のある時刻での條件との因果的な結びつきを表わす微分方程式となる.これらの方程式は古典力學の方程式と密接に對應しているけれども,觀測の結果とは直接には結びつかなくなる.觀測結果の計算には避けられない不定さがあり,そして理論のなし得ることは,一般には,われわれが觀測をするときにある特定の結果が得られることの確率を計算することだけである4).

2016年1月3日日曜日

目次

目次


I 重ね合わせの原理

1.量子論の必要・・・・・・・・・・・・・・・・・1
2.光子のかたより・・・・・・・・・・・・・・・・5
3.光子の干渉・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
4.重ね合わせと不確定の性質・・・・・・・・・・ 12
5.重ね合わせの原理の數學的な定式化・・・・・・ 18
6.ブラ・ベクトルとケット・ベクトル・・・・・・ 23


II 力學變數とオブザーバブル

7.1次演算子・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
8.共役の關係・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
9.固有値と固有ベクトル・・・・・・・・・・・・ 28
10.オブザーバブル・・・・・・・・・・・・・・・ 45
11.オブザ一パブルの函數・・・・・・・・・・・・ 54
12.一般の物理的な解釋・・・・・・・・・・・・・ 60
13.交換できる性質と兩立できる性質・・・・・・・ 65


III 表 示

14.基礎ベクトル・・・・・・・・・・・・・・・・ 71
15.δ函數・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 73
16.基礎ベクトルのいろいろな性質・・・・・・・・ 82
17.1次演算子の表示・・・・・・・・・・・・・・ 89
18.確率振幅・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97
19.オブザーバブルの函數についての定理・・・・・102
20.記號の擴張・・・・・・・・・・・・・・・・・105


IV 量子條件

21.ポアッソンの括弧・・・・・・・・・・・・・・113
22.シュレーディンガーの表示・・・・・・・・・・119
23.運動量による表示・・・・・・・・・・・・・・127
24.ハイゼンベルクの不確定性の原理・・・・・・・131
25.ずれの演算子・・・・・・・・・・・・・・・・133
26.ユニタリー變換・・・・・・・・・・・・・・・139


V 運動方程式

27.シュレーディンガーの形の運動方程式・・・・・145
28.ハイゼンベルクの形の運動方程式・・・・・・・149
29.定常狀態・・・・・・・・・・・・・・・・・・155
30.自由な粒子・・・・・・・・・・・・・・・・・158
31.波束の運動・・・・・・・・・・・・・・・・・162
32.作用原理・・・・・・・・・・・・・・・・・・167
33.ギッブスの集合・・・・・・・・・・・・・・・175


VI やさしい應用

34.調和振動子・・・・・・・・・・・・・・・・・181
35.角運動量・・・・・・・・・・・・・・・・・・183
36.角運動量の性質・・・・・・・・・・・・・・・192
37.電子のスピン・・・・・・・・・・・・・・・・199
38.中心力の場の中の運動・・・・・・・・・・・・203
39.水素原子のエネルギー準位・・・・・・・・・・209
40.選擇の規則・・・・・・・・・・・・・・・・・213
41.水素原子のゼーマン效果・・・・・・・・・・・220


VII 攝動論

42.一般的な注意・・・・・・・・・・・・・・・・224
43.攝動によって生じたエネルギー準位の變化・・・225
44.轉移の原因と考えた攝動・・・・・・・・・・・231
45.輻射への應用・・・・・・・・・・・・・・・・235
46.時間に無關係な攝動による轉移・・・・・・・・238
47.異常ゼーマン效果・・・・・・・・・・・・・・242


 VIII 衝突の問題

48.一般の注意・・・・・・・・・・・・・・・・・248
49.散亂の係數・・・・・・・・・・・・・・・・・252
50.運動量による表示を用いた解・・・・・・・・・258
51.分散散亂・・・・・・・・・・・・・・・・・・266
52.共鳴散亂・・・・・・・・・・・・・・・・・・269
53.放出と吸收・・・・・・・・・・・・・・・・・272


IX 同じ種類の粒子をいくつか含む體系

54.對稱な狀態と反對稱な狀態・・・・・・・・・・277
55.力學變數としての置換・・・・・・・・・・・・288
56.運動の定數としての置換・・・・・・・・・・・286
57.エネルギー準位の決定・・・・・・・・・・・・291
58.電子への應用・・・・・・・・・・・・・・・・295


X 輻射の理論

59.ボソンの集まり・・・・・・・・・・・・・・・303
60.ボソンと振動子とを結びつける關係・・・・・・307
61.ボソンの放出と吸收・・・・・・・・・・・・・314
62.光子への應用・・・・・・・・・・・・・・・・318
63.光子と原子との間の相互作用のエネルギー・・・323
64.輻射の放出,吸收,および散亂・・・・・・・・330
65.フェルミオンの集まり・・・・・・・・・・・・335


XI 電子の相對論的な理論

66.1個の粒子の相對論的な取り扱い・・・・・・・341
67.電子に對する波動方程式・・・・・・・・・・・348
68.ローレンツ變換の際の不變性・・・・・・・・・347
69.1個の自由な電子の運動・・・・・・・・・・・351
70.スピンの存在・・・・・・・・・・・・・・・・354
71.極座標に移ること・・・・・・・・・・・・・・358
72.水素のエネルギー準位の微細構造・・・・・・・362
73.陽電子の理論・・・・・・・・・・・・・・・・367


XII 量子電氣力學

74.相對論的な記號・・・・・・・・・・・・・・・371
75.場に對する量子條件・・・・・・・・・・・・・375
73.場に對するハミルトン函數・・・・・・・・・・381
77.附加條件・・・・・・・・・・・・・・・・・・384
78.ハミルトン形式で書いた古典電氣カ學・・・・・389
79.量子論へ移ること・・・・・・・・・・・・・・399
80.縱波を消し去ること・・・・・・・・・・・・・403
81.横波についての議論・・・・・・・・・・・・・411

 附錄 近似的な解き方

 (i)  一般論・・・・・・・・・・・・・・・・417
 (ii)  ハートリーの方法・・・・・・・・・・・422
 (iii) フォックの方法・・・・・・・・・・・・427
 (iv)  密度行列の方法・・・・・・・・・・・・432

譯者の註・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・437
譯者のあとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・475
索引・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・479

2016年1月1日金曜日

第1版のまえがきから

第1版のまえがきから

 理論物理學を進めてゆく方法は今世紀の間に非常な變更を受けた.古典論の傳統によると,世界は,あるきまった力の法則に從って運動している觀測可能な對象(粒子,流體,場など)の集まりであると考えられ,從って全體の體系の時間空間的なありさまは心に描けるものとされてきた.その結果得られた物理學は,これらの觀測可能な對象を互に結びつける仕組と力とについて假定をたてて,それらの對象のふるまいをできるだけ簡單に說明するのがその目的であった.ところが最近になって,自然界はこれと異なった方式に從って營まれていることがますます明らかになってきた.自然界の基本的な法則は,われわれが直観的に心に描けるような世界を直接に支配しているのではけっしてない.その基本的な法則の支配を受けるのはもっと基礎のものであって,そのものを心に描こうとすればどうしても見當違いのものになってしまう.これらの法則を式にまとめるには數學の變換の理論を用いなければならない.この世界の重要な事柄はそういう變換に對して不變な量(あるいはもっと一般にはほとんど不變な量,すなわち簡單な變換の性質をもった量)として現われる.われわれが直接知ることのできる事柄は,こういうほとんど不變な量の,ある座標系に對する關係である.普通はその座標系として,いろいろな點で特に簡單になるようなものを選ぶのであるが,一般論の立場からいえば,簡單になるということは別にたいせつではない.

 變換の理論はまず相對論に,そして後に量子論に適用され,盛んに用いられるようになったが,これが理論物理學の新しい方法の本質である.そして理論の進歩してゆく方向は,方程式をますます廣い變換に對して不變なものにすることに向っている.このような事情はある哲學的な立場から見れば非常に滿足なものである.なぜならばこういう事情には次のような意味がひそんでいると考えられるからである.それはつまり,觀測の際に現われる規則性は觀測者自身が一役を演じて生まれるものだという點がしだいに認められてきたこと,および自然界の營みはけっしてかってに行われているものではないこと,この二つである.しかしこういう事情のために,物理學を學ぶ人々にとってはいろいろな事柄がかなりわかりにくいものになる.數學的な道具立ては別として,新しい理論を組立てている物理的な槪念は,いままで人々の知っている事柄を用いては說明できないようなものである,それどころか,どうしてもことばでは適切な說明のできないものである.だれでもこの世に生まれてくると習わなければならない基本的な槪念(たとえば‘近い’と か’同じ’とかの槪念)があるが,それと同じように,物理學の新しい槪念も長い間にそれらの性質や使い方に慣れた上で初めて習得できるものである.

 數學の方面からいえば,新しい理論に近づくには別に困難はない.なぜならばその場合に必要な數學(少くとも現在まで物理學の發展に必要であった數學)は,すでに今までかなり長い間使われてきたものと本質的に違わないからである.數學というものは,どんな種類の抽象的な槪念に對してもそれを取り扱うのに特に適した道具であって,この方面で數學の能力には限りがない.こういうわけで,新しい物理學について書いた本は,純粹に實驗の硏究について述べたものでない限り,どうしても本質的に數學的なものになる.とはいうものの數學は一つの道具に過ぎないのであって,數學の形式にたよらずに物理的な考えを心に描けるように努めなければいけない.この本では物理的なことがらをたえず前面に出すように心掛けて,そのため,一番始めに完全に物理的な内容の1章をおき,以下の章では機會のあるごとに數學的な形式の奧にひそむ物理的な意味を調べるようにした.實用に役立つような問題が解けるようになるためには,まずかなり廣い範圍にわたって理論的な基礎を學ぶ必要があるが,この事情は,變換の理論が基本的な役割を演じている結果として,避けられないものであり,將來の理論物理學では一そう著しいものになるであろう.

 この理論について述べる際には,理論を表現するための數學の形式について,二つの方法の內どちらをとるかを始めに決めておく必要がある.つまりその一つは記號的な方法であって,基本的にたいせつな量(變換に對して不變な量など)を直接に抽象的なやり方で取り扱うものであり,他方は座標すなわち表示を用いる方法であって,これらの基本的な量に對應する數の組を取り扱うものである.この第2の方法は量子力學を表現するのに普通に使 われてきたものである.(事實,この方法が實際にはもっぱら用いられてきたのであって,ただワイルの著書’群論と量子力學’だけが例外である.)この方法は通常’波動力學’というなまえか,あるいは,’行列力學’というなまえで通っている.そしてこの二つのなまえの區別は,問題を取り扱う際に物理的な事柄のうちでどちらを强調するか,つまり體系の狀態を强調するかまたは體系の力學變數を强調するかによるものである.この方法の長所は,必要とする數學が普通これを學ぶ人々にとって比較的親しみやすいことである.そしてこの方法はまた歷史的なものでもある.

 しかしながら,記號的な方法の方が物事の本當の性質に一そう深く立ち入っているように思われる.この方法を用いると物理學の法則を簡潔に整ったやり方で表わすことができる.そして將來この方法がもっとよく理解され,そのための特殊な數學の硏究が進められるにつれて,記號的な方法はますます多く使われるようになるであろう.この理由から,わたくしは記號的な方法の方を選び,あとになってから代表を用いたが,それはただ實際に計算をするときの助けにすぎない.その結果として當然,歷史的な發展の筋道からは全く離れてしまったけれども,できるだけ囘り道をせずに新しい考えに近づけるということは,ここで用いたやり方の利點である.

  ST. JOHN’S COLLEGE, CAMBRIDGE
    1930 年 5 月 29 日
P.A.M.D.