2016年4月18日月曜日

14.基礎ベクトル

Ⅲ 表 示

14.基礎ベクトル

 これまでの章ではある種の抽象的な量を含む代數的な理論形式を作りあげたが,この抽象的な量には3種類あった.すなわちブラ・ベクトル,ケット・ベクトル,および1次演算子である.そして量子力學の基本法則の內のいくつかを,これらの量を用いて表わしたのであった.引きつづきこれらの抽象的な量を用いて理論を展開して特殊な問題に應用することもできないわけではない.しかし目的によってはこれらの抽象的な量の代わりに,似かよった數學的性質を持つ數の組を用いて話を進めた方が便利なこともある.こういうやり方は幾何學で座標を用いることと似ていて,特定の問題を解くにあたってその方が數學の力をよく使えるという利點をもっている.

 抽象的な量を數で置き代えるやり方は一通りに決まっているわけではなくて,幾何學で用いる座標系がたくさんあることに相當して,この場合もたくさんのやり方が可能である.これらのたくさんのやり方の一つ一つを表示とよび,ある抽象的な量の代わりに用いられる數の組を,その抽象的な量の,この表示での代表とよぶ.つまり抽象的な量の代表は,幾何學の對象でいえばその座標に相當するものである.量子力學でなにか特定の問題を解決しようとする時には,この問題に現われる抽象的な量のうちの重要なものができるだけ簡單な代表をもつような表示を用いれば,勞力が最も少くてすむ.

 一般的なやり方で表示を作り上げるために,ブラ・ベクトルの完全な組を一つとり上げる.完全な組というのは,どんなブラでもこの組の中のブラを用いて(和または積分,場合によっては和プラス積分として)1次關係で表わせるようなものである.この組のブラのことをその表示の基礎ブラとよぶ.後にわかるように一定の碁礎ブラをとれば,表示を定めるのに充分である.

 かってなケット をとって基礎ブラの一つ一つとのスカラ一積を作る.このようにして得られた數が集まって の代表を作り上げるのである.これらの數はケット を完全に決定するのに充分である.それは,これらと同じ數を代表とするような第2のケットがあったとして,たとえばそれを とすれば, という差は,どの基礎ブラとのスカラー積も零となるはずであり,從ってどんなブラとのスカラ一積も零となり, それ自身が零となるはずだからである.

 基礎ブラには一つまたはそれ以上のパラメータ一: を用いて目印をつけてあると考えておこう.これらのパラメ一ターはそれぞれ一定の數値をとるものとする.すると基礎ブラは と書かれ, の代表は と書かれることになる.さてこの代表は一組の數からできていることになるが,その數というものは がおのおの許された變域內である値をとるとき,その値の一組に對してそれぞれ一つずつ決まるものである.つまりこのような數の組はちょうど變數 の函數となっているわけである.從って一つのケットの代表は一組の數とみなすこともできるし,あるいは基礎ブラの目印に用いた變數の函數とみなすこともできる.

 力學系の獨立な狀態の數が有限であって,たとえば に等しいときには, 個の基礎ブラをとれば充分であるから,ただ1個のパラメータ一 が という値をとるものとしてそれらの基礎ブラに目印をつけることができる.この場合どんなケット の代表も, 個の數 という組からできているが,これらの數はベクトル をふつうのやり方で座標系を用いて表わしたときの座標そのものにほかならない.ケット・ベクトルの代表という考えはちょうどふつうのベクトルの座標という考えを一般化したものであって,ケット・ベクトルの空間の次元が有限であるときはふつうのベクトルの座標になってしまう.

 一般の表示では基礎ブラがすべて獨立である必要は別にない.しかし實際上に用いられるたいていの表示では,基礎ブラはすべて獨立にとってあり,またそれらの內のどの二つも互に直交するというもう少し强い條件を滿足している.この場合にその表示は直交する表示であるとよばれる.

 基礎ブラ に目印をつけるパラメ一ターの の變域がすべて實であるような直交する表示をとってみる.そしてケット をとりその代表 を作る.次に という數を作り,これらをある新しいケット の代表と考えてみる.そう考えてもよいわけは,基礎ブラが互に獨立なのでケットの代表となる數は互に獨立にとれるからである.ケット は次の方程式で定義される:

ケット は明らかにケット の1次函數である.從って にある1次演算子を施した結果と考えてもよい.この1次演算子を とよべば

となり,これから

この方程式はどんなケット に對しても成りたつ.從って

方程式(1)を1次演算子 の定義とみてもよい.これからわかるように,基礎ブラの一つ一つが の固有ブラであって,パラメータ一 の値がその固有ブラに屬する固有値となっている.

 基礎ブラが直交しているという條件から, が實でありオブザーバブルであることを導き出せる.いま および をパラメ一ター のとる2組の値とする.(1)の の所へ とおいて右から基礎ブラ に共役虛なベクトル を掛けると

と とを入れかえれば

基礎ブラが直交しているという理由から,右邊はからまでのすベてのに對してでない限りは零となる.そしてすベてのに對しである場合には兩式の右邊は等しく,また, が實數であるから,それらは實數である.こういうわけで, がに等しくても等しくなくても,

となる.ここで§8の方程式(4)を用いた. などはブラの完全な組を形づくっており, などはケットの完全な組を形づくっていることから考えて,と結論できる. がオブザーバブルとなるために必要なもう一つの條件,つまり の固有狀態が完全な組を形づくるという條件は,明らかに滿足されている.というのは の固有ブラは基礎ブラであり,これは完全な組を形づくっているからである.

 同じようにして に順順に因子 を掛け,その結果得られる數の組をあるケットの代表とみなせば,1次演算子 というものを考えることができる.これらの はそれぞれ基礎ブラを固有ブラとしており,それぞれ實であってオブザーバブルであることを,上と同じやり方で示すことができる.基礎ブラはすべての の同時の固有ブラになっている.これらの同時の固有ブラが完全な組を形づくっているのであるから,§13の定理により の內のどの二つをとっても互に交換するという結果になる.

 今度は次のことを示すことにする. を互に交換するオブザーバブルの任意の組とすれば,基礎ブラが 同時の固有ブラになっているような直交する表示を作りあげることができる.最初は の固有値のどんな組 をとってもそれに屬する同時の固有ブラの獨立なものはただ一つしかないと考えておこう.するとこれらの同時の固有ブラにかってな數係數をつけたものは,求める基礎ブラとして用いることができる.これらのブラは直交性の定理からすべて直交しているし(これらのブラの內のどの二つをとっても少くとも一つの固有値は異なっており,それがこの二つのブラが直交するための充分條件である),またこれらのブラの數は,§13の結果から,完全な組を形づくるのに充分なだけある.これらのブラに目印をつけるのには,その屬する固有値 を用いるのが便利である.從ってその固有ブラの一つは と書かれることになる.

 次に一般の場合に移り, の固有値の組の內のあるものについては,それに屬する同時の固有ブラで獨立なものがいくつかあるとする.この場合はそのような固有値の一つの組 に屬する同時の固有ブラのすベての中から,いくつかのブラを選び出して,完全性の條件をみたす小さな組(subset)をつくり,その中の固有ブラはすべて互に直交するようにしておく必要がある.(ここで完全性の條件というのは,固有値 に屬する同時の固有ブラであればどれもこの小さな組の中のブラを用いて1次結合として表わせることを意味する.)このことを固有値 の組の一つ一つについて行い,その上でこれらの小さな組のすべてのブラを全部一しょにしてそれらをこの表示の基礎ブラとしてとる必要がある.これらのブラはすべて直交している.つまり,その內の二つをとれば,それらが固有値の異なる組に屬しているときは直交性の定理によって直交しているし,それらが固有値の同じ組に屬しているときは,いま特別のやり方でそれらを選びだしておいたのであるから,やはり直交しているのである.そしてこれらのブラは全體で完全な組を形づくっている.というのはどんなブラでも同時の固有ブラを用いて1次式で表わされ,そしてその同時の固有ブラはそれぞれが小さな組に屬するブラを用いて1次式で表わされるからである.小さな組の選び方は無限にたくさんあるが,それらはそれぞれ直交する表示を與えるのである.

 この一般の場合に基礎ブラに目印をつけるには,その基礎ブラの屬する固有値 のほかに一定の實變數たとえば をおぎなって用いればよい. は同じ固有値の組に屬する基礎ベクトルを互に區別するためにつけ加える必要があるのである.從って基礎ブラは というように書かれる.變數 に相當して,(1)に似た方程式によって1次演算子 を定義することができる.そしてこれらの1次演算子の固有ブラが基礎ブラであること,またこれらの1次演算子が實でオブザーバブルであること,およびこれらの1次演算子が互に交換し,また と交換することを示すことができる.基礎ブラは今度は互に交換するオブザーバブル の全部に對して同時の固有ブラとなっている.

 互に交換するオブザーバブルの完全な組というものを定義して,すべて互に交換し,固有値のどんな組をとってもそれに屬する同時の固有狀態はただ一つしかないようなオブザーバブルの組である,としよう.するとオブザーバブル は互に交換するオブザーバブルの完全な組を形づくっているわけである.というのは固有値に に屬する同時の固有ブラで獨立なものはただ一つしかない,つまりこれに相當する基礎ブラしかないからである.同じように考えて,方程式(1)とそれに續いて述べたこととで定義したオブザーバブル も,互換するオブザーバブルの完全な組を形づくっている.この定義の助けをかりに交ると,この節のおもな結果は次のように簡潔にまとめることができる:


  1. 直交する表示の基礎ブラは,互に交換するオブザーバブルの完全な組の同時の固有ブラである.
  2. 互に交換するオブザーバブルの完全な組を與えられると,基礎ブラ がこの完全な組の同時の固有ブラとなっているような直交する表示を作りあげることができる.
  3. 互に交換するオブザーバブルの組があれば,これに適當なオブザーバブルをつけ加えて互に交換する完全な組とすることができる.
  4. 直交する表示の基礎ブラに目印をつけるのに便利な一つの方法は,基礎ブラを同時の固有ブラとする互に交換するオブザーバブルの完全な組の固有値を用いることである.

 ある表示の基礎ブラに共役虛なベクトルを,この表示の基礎ケットとよぶ.從って基礎ブラを としるせば,基礎ケットは としるされることになる.あるブラ の代表はそれぞれの基礎ケットとのスカラー積つまり で與えられる.これはケットの代表と同じように數の組とみなしてもよいし,あるいは變數 の函數とみなしてもよい.ところで

が成りたっているが,これはあるブラの代表は,それに共役虛なケットの代表の共役複素數であることを示している.直交する表示では,基礎ブラが互に交換するオブザーバブル,たとえば の完全な組の同時の固有ブラになっているのであるから,基礎ケットは の同時の固有ケットであることになる.

 今まではまだベクトルの長さということを考えなかった.直交する表示については,基礎ベクトルの長さを任意のままにしておくよりは,それを規格化してその表示を一段と簡單なものにする方がむしろ當然のやり方である.しかし基礎ベクトルを規格化できるのは,その目印のパラメーターがすべてとびとびの値をとる時に限られる.これらのパラメーターの內のどれかがある領域內の値をすべてとれるような連續變數であれば,基礎ベクトルは何かあるオブザーバブルの連續領域の中の固有値に屬する固有ベクトルとなり,從って,§10の議論(52頁を見よ)により,無限大の長さを持っている.この時には基礎ベクトルに掛ける數因子を定めるためには何かほかの手續きが必要である.この問題を取り扱う便利な方法を得るためには新しい數學的な記號が必要であるが,それを次の節で述べることにする.

2016年4月10日日曜日

13.交換できる性質と兩立できる性質

13.交換できる性質と兩立できる性質

 ある狀態が同時に二つのオブザーバブルの固有狀態になっていることがある.この狀態がケット・ベクトル に對應し,二つのオブザーバブルが および であるとすれば,次の方程式が得られるはずである:

ここで および はそれぞれ および の固有値である.さてこうして次の式を導き出すことができる:

すなわち

この式を見てすぐ想像されるように,同時に二つのオブザーバブルの固有狀態になるものが存在する見込みが一番ありそうなのは, となって二つのオブザーバブルが交換するときである.二つのオブザーバブルが交換しない場合でも,同時に固有狀態となるものがあり得ないわけではないが,どちらかといえば例外である.他方,二つのオブザーバブルが交換すれば,同時に兩方の固有狀態となるものが,完全な組を作る數だけ存在する.これは次に證明する通りである.

  と とを二つの交換するオブザーバブルとする. の固有ケットで固有値 に屬するものをとり,たとえばこれを とする.そしてこれを の固有ケットを用いて(25)の右邊の形に展開する.すなわち

この式の右邊の の固有ケットには目印として が餘分に挿入してある.それはこれらのケットがある特別のケット・ベクトルつまり を展開して得られたものであって,方程式(25)のときのように一般のものの展開ではないことに注意をしておくためである.さてこれらの固有ケットはそれぞれまたの固有ケットで固有値に屬することを示すことができる.まず

ところがケットは

を滿足しているが,これはこのケットがの固有ケットで固有値に屬することを示している.また同じようにしてケットはの固有ケットで固有値に屬している.こうしてみると方程式(48)はの固有ケットの積分ブラス和を零に等しいと置いたものである.このような方程式は,方程式(31)について見てきたように,積分される函數および和の中のすベての項が零とならない限りは成立し得ない.それゆえ

從って(47)の右邊に現われるケットはすべての固有ケットでもありの固有ケットでもある.そうすると方程式(47)はをととの兩方同時の固有ケットで展開したものである.どんなケットでもの固有ケットを用いて展開できるのであるから,どんなケットでもととの兩方同時の固有ケットを用いて展開できるという結果になり,すなわちととの兩方同時の固有狀態は完全な組を作ることになるのである.

 上に述べたととの兩方同時の固有ケット,およびには,それらの屬する固有値および,またはおよび,を用いて目印がつけてあり,それにさらにおよびという目印がついている.これも場合によっては必要となるのである.これからさき一般に,兩方同時の固有ベクトルに對しては目印として固有値を用いるという方法をとることにするが,それは今まで一つのオブザーバブルの固有ベクトルについてとって來た方法とちょうど同じである.

 上の定理の逆は次のようになる.ととが二つのオブザーバブルで,それらの兩方同時の固有狀態が完全な組を形づくっているのであれば,ととは互に交換する.これを證明するためには,を固有値およびに屬する兩方同時の固有ケットとして

となることに注意する.兩方同時の固有狀態は完全な組を形づくっているのであるから,任意のケットは兩方同時の固有ケットを用いて展開することができるが,その固有ケットのそれぞれに對して(49)が成りたつ.それゆえ

從って

 同時の固有狀態という考えは二つ以上のオブザーバブルの場合にひろげることができ,上に述べた定理とその逆とはやはり成りたっている.すなわちなにかオブザーバブルの組があって,その中のオブザーバブルがそれぞれ他のすベてのオブザーバブルと互に交換するものであれば,これらのオブザーパブルの同時の固有狀態は完全な組を形づくる.またこの逆が成りたつ.二つのオブザーバブルについての證明に用いたのと同じ議論が一般の場合にもあてはまる.たとえば三つの互に交換するオブザーバブルがあれば,ととの兩方同時の固有狀態のどれでもそれをの固有ケットを用いて展開し,そしてこれらの固有ケットがまたおよびの固有ケットにもなっていることを示すことができる.このようにしてととの同時の固有ケットは,およびの同時の固有ケットを用いて展開できる.そしてどんなケットでもととの同時の固有ケットを用いて展開できるのであるから,それはまたおよびの同時の固有ケットを用いて展開できるのである.

 同時の固有ケットに直交性の定理を用いればわかるように,互に交換するオブザーバブルの組の同時の固有ベクトルを二つとるとき,それらの屬する固有値の組が互に少しでも違えば二つのベクトルは直交している.

 二つまたはそれ以上の互に交換するオブザーバブルの同時の固有狀態が完全な組を形づくっていることに基いて,§11に述べた一つのオブザーバブルの函數の理論と同様の方針に從いながら,二つまたはそれ以上のオブザーバブルの函數の理論を作りあげることができる.を互に交換するオブザーバブルとすると,それらの一般の函數とは

を滿足する1次演算子であると定義する.ただしはの固有値に屬する同時の固有ケットのどれかをとったものである.ここでは,のそれぞれにの固有値となるすべての値をとらせたときにが定義されていればどんな函數であってもよい.(34)で定義した一つのオブザーバブルの函數のときと同じようにして示せることであるが,は(50)によって完全に決定され,また(37)に相當して

となり,さらにまたが實函數であれば,は實であり,オブザーバブルである.

 さてこんどは話を進めて(45)および(46)の結果を一般化することができる.互に交換するオブザーバブルの一組が與えられたものとすれば,を實數としてのときに等しく,これらの條件のうち一つでも滿たされないときには零に等しいようなの函數を作ることができる.この函數をと書いてよい.實際これはをそれぞれ一つのオブザーバブルの函數として定義し,これらの因子をどんな順序でもよいから掛け合わせたものにほかならない.それは(50)の左邊ののところへこの積を代入して見ればわかる通りである.この函數を任意の狀態について平均した値は,がこの狀態でそれぞれという値をもつことの確率である.これをたとえばとしよう.從って,その狀態が規格化されたケット・ベクトルに相當するものであれば,物理的な解釋を下すために設けてきた一般の假定から

が得られる.數がそれぞれ相當するオブザーバブルの固有値となっていない限りはは零である.數の內のどれかが,それに對するオブザーバブルの固有値の連續した領域の中にある固有値の一つである場合にも,はふつうはやはり零となる.しかしこのときには,このオブザーバブルが正確にある一つの値をもつという要求をする代わりに,それがある小さい領域の中にある値をもつという要求をするのが當然である.ということは,(51)のの積の因子の一つを方程式(46)ので置きかえることを意味する.オブザーバブルに相當する數値が連續した固有値の領域の中にあるとき,のそれぞれに對して上のような置きかえを行えば,一般には零とならない確率が得られることになる.

 いくつかのオブザーバブルが互に交換すれば,62ページの始めの方で說明したような意味で,これらのオブザーバブルがすべて特定の値をもつような狀態すなわち同時の固有狀態が存在する.從って數個の互に交換するオブザーバブルが同一の時刻にそれぞれ値をもつということにははっきりした意味をつけることができる.さらに(51)からわかるように,どんな狀態に對しても數個の互に交換するオブザーバブルを同時に測定したときに特定の結果が得られることの確率というものに,はっきりした意味をつけることができる.この結論によって一つの重要な新しい事柄が明らかになる.一般には一定の狀態にある體系に對して観測を行うと,その狀態をかき亂し第2の觀測をしようという目的にはかなわぬものとしてしまう.こういう場合には,二つの觀測を同時に行うということには,まったく意味をつけることができない.しかしながら上に述べた理論によって次のことがわかる.二つのオブザーバブルが互に交換するという特別の場合には,それら二つを觀測することは互に干涉しない,言い換えれば兩立できるものと見なしてよく,從って二つの觀測を同時に行うことに意味をつけることができるし,またある特定の結果が得られる確率を論ずることもできる.こういう二つの觀測は實はただ一つの觀測であると見なし,ただふつうより込み入った型のものであって,その結果は一つの數ではなく二つの數によって表わされるものと考えておいてもよい.一般的な理論の立場からすれば,二つまたはそれ以上の互に交換するオブザーバブルはどんなものも,實はただ一つのオブザーバブルであると考え,ただそれを測定した結果が二つまたはそれ以上の數から成るものと見なしておいてよい.そしてこの測定をすれば確かにある特定の結果を生ずるような狀態が,それらのオブザーバブルの同時の固有狀態なのである.
 

2016年4月8日金曜日

12.一般の物理的な解釋

12.一般の物理的な解釋

 數學的な理論を物理的に解釋するために§10の最初に設けた假定は,どちらかといえば特別な種類のものである.というのはこれらの假定は固有狀態というものと結びつけなければ用いられないからである.そこで,固有狀態を問題にしてはいない場合にもなお數學的な理論から物理的な知識を引き出せるような,何かもっと一般的な假定が必要である.

 古典力學では,オブザーバブルは體系のどんな特殊な狀態に對してもいわばつねに‘ある一つの値を持っている’のである.量子力學でこのことに相當しているものは何であろうか?いまオブザーバブルおよび二つの狀態.ととをかってにとり,それらの狀態に相當するベクトルをおよびとすると,これらを用いてただの數を作ることができる.この數をあるオブザーバブルが古典論で‘持つ’ことのできる値と比べると,次の三つの理由からあまり似てはいない.すなわち i)これは體系の二つの狀態に關係している.ところが古典的な値はいつでも一つの狀態にしか關係していない. ii)これは一般には實數ではない.そして iii)これはオブザーバブルと狀態とだけからは一通りには定まらない.というのはベクトルととがかってな數因子を含んでいるからである.ととに對して規格化という條件をつけてみてものなかにはやはり絕對値の不定の因子がある.しかしながら,二つの狀態として同じものをとりをに對する共役虛のベクトルとすれば,これら三つの理由はあてはまらなくなる.この場合に得られる數すなわちは必ず實數であり,また,が規格化されていれば,一通りに定まってしまう.それは,を何か實數としてに數因子をかけるとすれば,にはを掛けねばならず,には變わりがないからである.

 こうなると,オブザーバブルは狀態に對して古典論のときとよく似た意味でという‘値を持つ’と假定してみたくなるかもしれない.しかしこれは次の理由から滿足なものではなかろう.第2のオブザーバブルをとってみると,それは上の假定によってこの同じ狀態に對しという値を持つはずである.ところで,古典論にならって考えると,この狀態に對して二つのオブザーバブルの和は,それらのオブザーバブルそれぞれの値の和に等しい値を持ち,また二つのオブザーバブルの積はそれらのオブザーパブルそれぞれの値の積に等しい値を待つと期待するのが當然であろう.實際,上の假定を試みると,二つのオブザーバブルの和としてはとなって,これは事實ととの和に等しい.けれども,積に對してはまたはとなって,これらはどちらもおよびとはどうしても簡單な關係で結びつけられないのである.

 しかし,事柄がうまく行かないのは積の場合だけであって,和の場合はよいのであるから,をオブザーバブルの狀態についての平均の値とよぶことは理くつに合うであろう.なぜならば,二つの量の和の平均はそれらの平均の和に等しくなければならないが,二つの量の積の平均はそれらの平均の積に等しくなくてもよいからである.そこで次の一般的な假定を設ける:に對應する狀能についてオブザーバブルの測定をたくさんの囘數にわたって行うと,得られたすべての結果の平均はとなる.ただしは規格化されているものとする.があるオブザーバブルの固有狀態で連續した領域の中の固有値に屬しているときには必ず起ることであるが,が規格化されていないという場合には,上の假定は,を測定した結果の平均はに比例するという假定になる.この一般の假定によって理論を一般に物理的に解釋する基礎が與えられるのである.

 あるオブザーバブルがある特定の狀態に對して‘ある特定の値を持つ’といういい方が量子力學で許されるのは,そのオブザーバブルを測定すれば確かにある特定の値が得られるという特別の場合,從ってその狀態がそのオブザーバブルの固有狀態であるという特別の場合である.代數を用いてたやすく確かめられるように,オブザーバブルが‘値を持つ’という意味をこのように制限しておくと,二つのオブザーバブルがある特定の狀態に對してそれぞれ値を持てば,これら二つのオブザーバブルの和は(もしこの和がオブザーバブルであれば1)二つのオブザーバブルが別別に持つ値の和に等しい値を持ち,二つのオブザーバブルの積は(もしこの積がオブザーバブルであれば2)それら二つのオブザーバブルが別別に持つ値の積に等しい値を持つのである.

 一般の場合には,あるオブザーバブルがある特定の狀態に對してある値を持つということはいえないけれども,そのオブザーバブルがその狀態に對してある平均の値を持つということはいえる.更に一步進んで,このオブザーバブルがその狀態に對してどれかある特定の値をもつ確率というものも考えられるのである.その意味はオブザーバブルの測定をしたときにその特定の値の得られる確率のことである.この確率は前の一般の假定から次のようにして求められる.

 そのオブザーバブルをとし,その狀態は規格化された固有ケットに對應しているものとしよう.すると一般の假定により,の平均の値がとなることだけでなく,のかってな函數をたとえばとすると,その平均値がとなることもわかっている.いまとして,のときに等しくそれ以外ではに等しいというの函數をとってみる.ただしは何かある實數である.前に述べたオブザーバブルの函數の一般の理論に從えばこのの函數は意味をもっており,83ページ(方程式(17))に述べる二つの添え字をもつ記號の一般的な書き方にならってと書き表わせる1).のこの函數の平均の値は,がという値をもつ確率にほかならない.これをたとえばとしよう.すなわち,

 がの固有値でなければ,をの固有ケットのどれに掛けても零となる.從ってでありとなる.これは§10で結論したこと,つまりあるオブザーバブルの測定をした結果はどれもそのオブザーバブルの固有値の一つでなければならないということと一致する.

 の測定の結果として可能な値が連續した數の領域を形づくっているときには,が正確にある特定の値をもつという確率は實際上の問題ではたいてい零となる.この場合物理的に重要な量は,が,小さい領域の中の値たとえばととの間の値をとることの確率である.この確率をとよぶことにするが,それは,がとの間の領域にあれば,それ以外ではとなるようなの函數の平均の値に等しい.オブザーバブルの函數について前に述べてきた一般の理論に從えば,このの函數は意味をもっている.これをとしるせば

となる.からまでの領域がの固有値を一つも含まなければ,前と同様にとなりである.が規格化されていないときでも(45)と(46)との右邊はやはりがそれぞれという値またはからまでの連續した領域の間にある値をとる確率に比例している.

 §10での假定,すなわち,體系がの固有値に屬する固有狀態にあるとき,を測定した結果は確實にを與えるということは,物理的解釋のための一般の假定と矛盾するものではなく,實際この一般假定から導き出されるものである.一般の假定から出發してわかることであるが,がの固有ケットで固有値に屬するならば,の固有値がとびとびの數である場合には,

であり,の固有値が連續した領域になっている場合には

である.どちらの場合にも,に相當する狀態に對しては,が以外の値をとる確率はすべて零である.

 の固有値が連續した領域のなかにあるとき,これに屬する固有狀態は,實際には嚴密に實現できるものではない.というのはを正確にに等しくとるには無限に大きな精度を必要とするからである.實際上實現できるのはせいぜいがという値のそばの狹い領域內にあるようにすることである.このとき體系はの固有狀態に非常に近い狀態にあることになる.こういうわけで連續した領域の中にある固有値に屬する固有狀態というのは,實際に達することのできる狀態を數學的に理想化していったものである.それでもとにかく,このような固有狀態は理論の中できわめて有用な役割を演じていて,これらの固有狀態なしにはうまく行かないということに變わりはない.科學にはたくさん例のあることであるが,理論的な槪念が實際に起る事柄の極限になっていて,實驗でこれを實現することはできないが,自然の法則を正確に定式化するのに役立つ場合がある.そしていまの場合もまたちょうどそういう一つの新しい例になる.これらの固有狀態に相當するケット・ベクトルの長さが無限大であるということは,これらの狀態が實現できないということに關係があるといってよかろう.そしてまた實現される狀態に對應するケット・ベクトルはすべて規格化ができてヒルベルト空間を作るといってよかろう.


  1. この和がオブザーバブルであるとすぐにはいえない.というのはこの和のもつ固有狀態は完全な組を作るには充分でないかも知れないからである.その場合にはこの和を單一の量と考えたのでは測定不可能となる. ↩
  2. この場合には固有狀態が完全な組を作るという條件のほかに,オブザーバブルが實であるという條件もやぶれることがある. ↩