2016年4月8日金曜日

12.一般の物理的な解釋

12.一般の物理的な解釋

 數學的な理論を物理的に解釋するために§10の最初に設けた假定は,どちらかといえば特別な種類のものである.というのはこれらの假定は固有狀態というものと結びつけなければ用いられないからである.そこで,固有狀態を問題にしてはいない場合にもなお數學的な理論から物理的な知識を引き出せるような,何かもっと一般的な假定が必要である.

 古典力學では,オブザーバブルは體系のどんな特殊な狀態に對してもいわばつねに‘ある一つの値を持っている’のである.量子力學でこのことに相當しているものは何であろうか?いまオブザーバブルおよび二つの狀態.ととをかってにとり,それらの狀態に相當するベクトルをおよびとすると,これらを用いてただの數を作ることができる.この數をあるオブザーバブルが古典論で‘持つ’ことのできる値と比べると,次の三つの理由からあまり似てはいない.すなわち i)これは體系の二つの狀態に關係している.ところが古典的な値はいつでも一つの狀態にしか關係していない. ii)これは一般には實數ではない.そして iii)これはオブザーバブルと狀態とだけからは一通りには定まらない.というのはベクトルととがかってな數因子を含んでいるからである.ととに對して規格化という條件をつけてみてものなかにはやはり絕對値の不定の因子がある.しかしながら,二つの狀態として同じものをとりをに對する共役虛のベクトルとすれば,これら三つの理由はあてはまらなくなる.この場合に得られる數すなわちは必ず實數であり,また,が規格化されていれば,一通りに定まってしまう.それは,を何か實數としてに數因子をかけるとすれば,にはを掛けねばならず,には變わりがないからである.

 こうなると,オブザーバブルは狀態に對して古典論のときとよく似た意味でという‘値を持つ’と假定してみたくなるかもしれない.しかしこれは次の理由から滿足なものではなかろう.第2のオブザーバブルをとってみると,それは上の假定によってこの同じ狀態に對しという値を持つはずである.ところで,古典論にならって考えると,この狀態に對して二つのオブザーバブルの和は,それらのオブザーバブルそれぞれの値の和に等しい値を持ち,また二つのオブザーバブルの積はそれらのオブザーパブルそれぞれの値の積に等しい値を待つと期待するのが當然であろう.實際,上の假定を試みると,二つのオブザーバブルの和としてはとなって,これは事實ととの和に等しい.けれども,積に對してはまたはとなって,これらはどちらもおよびとはどうしても簡單な關係で結びつけられないのである.

 しかし,事柄がうまく行かないのは積の場合だけであって,和の場合はよいのであるから,をオブザーバブルの狀態についての平均の値とよぶことは理くつに合うであろう.なぜならば,二つの量の和の平均はそれらの平均の和に等しくなければならないが,二つの量の積の平均はそれらの平均の積に等しくなくてもよいからである.そこで次の一般的な假定を設ける:に對應する狀能についてオブザーバブルの測定をたくさんの囘數にわたって行うと,得られたすべての結果の平均はとなる.ただしは規格化されているものとする.があるオブザーバブルの固有狀態で連續した領域の中の固有値に屬しているときには必ず起ることであるが,が規格化されていないという場合には,上の假定は,を測定した結果の平均はに比例するという假定になる.この一般の假定によって理論を一般に物理的に解釋する基礎が與えられるのである.

 あるオブザーバブルがある特定の狀態に對して‘ある特定の値を持つ’といういい方が量子力學で許されるのは,そのオブザーバブルを測定すれば確かにある特定の値が得られるという特別の場合,從ってその狀態がそのオブザーバブルの固有狀態であるという特別の場合である.代數を用いてたやすく確かめられるように,オブザーバブルが‘値を持つ’という意味をこのように制限しておくと,二つのオブザーバブルがある特定の狀態に對してそれぞれ値を持てば,これら二つのオブザーバブルの和は(もしこの和がオブザーバブルであれば1)二つのオブザーバブルが別別に持つ値の和に等しい値を持ち,二つのオブザーバブルの積は(もしこの積がオブザーバブルであれば2)それら二つのオブザーバブルが別別に持つ値の積に等しい値を持つのである.

 一般の場合には,あるオブザーバブルがある特定の狀態に對してある値を持つということはいえないけれども,そのオブザーバブルがその狀態に對してある平均の値を持つということはいえる.更に一步進んで,このオブザーバブルがその狀態に對してどれかある特定の値をもつ確率というものも考えられるのである.その意味はオブザーバブルの測定をしたときにその特定の値の得られる確率のことである.この確率は前の一般の假定から次のようにして求められる.

 そのオブザーバブルをとし,その狀態は規格化された固有ケットに對應しているものとしよう.すると一般の假定により,の平均の値がとなることだけでなく,のかってな函數をたとえばとすると,その平均値がとなることもわかっている.いまとして,のときに等しくそれ以外ではに等しいというの函數をとってみる.ただしは何かある實數である.前に述べたオブザーバブルの函數の一般の理論に從えばこのの函數は意味をもっており,83ページ(方程式(17))に述べる二つの添え字をもつ記號の一般的な書き方にならってと書き表わせる1).のこの函數の平均の値は,がという値をもつ確率にほかならない.これをたとえばとしよう.すなわち,

 がの固有値でなければ,をの固有ケットのどれに掛けても零となる.從ってでありとなる.これは§10で結論したこと,つまりあるオブザーバブルの測定をした結果はどれもそのオブザーバブルの固有値の一つでなければならないということと一致する.

 の測定の結果として可能な値が連續した數の領域を形づくっているときには,が正確にある特定の値をもつという確率は實際上の問題ではたいてい零となる.この場合物理的に重要な量は,が,小さい領域の中の値たとえばととの間の値をとることの確率である.この確率をとよぶことにするが,それは,がとの間の領域にあれば,それ以外ではとなるようなの函數の平均の値に等しい.オブザーバブルの函數について前に述べてきた一般の理論に從えば,このの函數は意味をもっている.これをとしるせば

となる.からまでの領域がの固有値を一つも含まなければ,前と同様にとなりである.が規格化されていないときでも(45)と(46)との右邊はやはりがそれぞれという値またはからまでの連續した領域の間にある値をとる確率に比例している.

 §10での假定,すなわち,體系がの固有値に屬する固有狀態にあるとき,を測定した結果は確實にを與えるということは,物理的解釋のための一般の假定と矛盾するものではなく,實際この一般假定から導き出されるものである.一般の假定から出發してわかることであるが,がの固有ケットで固有値に屬するならば,の固有値がとびとびの數である場合には,

であり,の固有値が連續した領域になっている場合には

である.どちらの場合にも,に相當する狀態に對しては,が以外の値をとる確率はすべて零である.

 の固有値が連續した領域のなかにあるとき,これに屬する固有狀態は,實際には嚴密に實現できるものではない.というのはを正確にに等しくとるには無限に大きな精度を必要とするからである.實際上實現できるのはせいぜいがという値のそばの狹い領域內にあるようにすることである.このとき體系はの固有狀態に非常に近い狀態にあることになる.こういうわけで連續した領域の中にある固有値に屬する固有狀態というのは,實際に達することのできる狀態を數學的に理想化していったものである.それでもとにかく,このような固有狀態は理論の中できわめて有用な役割を演じていて,これらの固有狀態なしにはうまく行かないということに變わりはない.科學にはたくさん例のあることであるが,理論的な槪念が實際に起る事柄の極限になっていて,實驗でこれを實現することはできないが,自然の法則を正確に定式化するのに役立つ場合がある.そしていまの場合もまたちょうどそういう一つの新しい例になる.これらの固有狀態に相當するケット・ベクトルの長さが無限大であるということは,これらの狀態が實現できないということに關係があるといってよかろう.そしてまた實現される狀態に對應するケット・ベクトルはすべて規格化ができてヒルベルト空間を作るといってよかろう.


  1. この和がオブザーバブルであるとすぐにはいえない.というのはこの和のもつ固有狀態は完全な組を作るには充分でないかも知れないからである.その場合にはこの和を單一の量と考えたのでは測定不可能となる. ↩
  2. この場合には固有狀態が完全な組を作るという條件のほかに,オブザーバブルが實であるという條件もやぶれることがある. ↩