2016年1月16日土曜日

7.1次演算子

II 力學變數とオブザーバブル

7.1次演算子

 前の節では,ケット・ベクトルの1次函數になっているただの數を考え,それから出發してブラ・ベクトルという槪念に達したが,今度はケット・ベクトルの1次函數になっているケット・ベクトルを考えることにする.これから出發すると1次演算子という槪念に達するのである.

 いまケットがケットの函數になっている,つまりいろいろなケットにそれぞれ一つずつケットが對應しているものと想像しよう.そしてさらにこの函數が1次函數であるとしよう.という意味は,に對應するは,に對應するとに對應するとの和であり,をかってな數因子として,に對應するはに對應するの倍となることである.これらの條件があれば,からへ移ることは,にある1次演算子を施すことと見なしてもよい.1次演算子を表わす記號としてを用いることにすれば,

と書いてよい.この式ではをに施した結果をととの積のように書いてある.こういう積を書くにはケット・ベクトルはいつでも必ず1次演算子の右側におくという規則にきめておく.すると上に述べた1次函數の條件は次の方程式で表わされる:

ある1次演算子をどんなケット・ベクトルに施した結果もすベて與えられている時には,この1次演算子は完全に定義されているものとみなす.從ってある1次演算子をどんなケットに施してもその結果がすべて零となるならば,その1次演算子は零と見なさねばならないし,二つの1次演算子をどんなケットに施してもすべて同じ結果を生ずるときには,それら二つの1次演算子は等しいと見なさねばならない.

 1次演算子は互に加え合わせることができる.ただし二つの1次演算子の和の定義としては,ある一つの1次演算子で,それをどんなケットに施しても,その結果がもとの二つの1次演算子を別別に施して生ずるケットの和になっているものをとる.從っては,

がどんなに對しても成りたつということで定義される.方程式(2)と方程式(1)の第1の式とから,1次演算子とケット・ベクトルとの積は掛け算の分配の公理を滿足することがわかる.

 1次演算子はまたいくつか互に掛け合わせることもできる.ただし二つの1次演算子の積の定義としては,ある一つの1次演算子で,これをどんなケット・ベクトルに施しても,その結果がもとの二つの1次演算子を次次に施したときと同じになるものをとる.從ってを定義するには,ある一つの1次演算子で,それをどんなケットに施しても,その結果,にまずを施し,次にこの初めの演算の結果にを施して得られるはずのケットを與えるものといえばよい.記號で書けば

この定義はおよびの3重の積について,掛け算の結合の公理の形をしている.それゆえこの3重の積を括弧なしでと書いてもさしつかえない.しかしながらこの3重の積は,にまずを施し次いでを施して得られる結果と一般には等しくない.つまりは一般にはと異なり,從ってまたはと一般には異なるはずである.1次演算子に對しては掛け算の交換の公理は成りたたない.特別な場合としては二つの1次演算子 とをとると,ととが等しいこともある.この場合はと交換する,あるいはととが互に交換するという.

 上に述べた1次演算子を加え合わせる手續きと掛け合わせる手續きとをくり返して行うと,二つ以上の1次演算子の和と積とを作ることができ,さらに進んで1次演算子の代數を作りあげることができる.この代數では,掛け算の交換の公理は成りたたないし,また二つの1次演算子の積が零であってしかもその因子はどちらも零ではないということも起る.しかし普通の代數のその他の公理は,掛け算の結合の公理や分配の公理をも含めて,すベて成りたっている.これはたやすく確かめられる通りである.

 ただの數をとってこれをケット・ベクトルに掛けるとき,この數をケット,ベクトルに施した一つの1次演算子と見なしてもよい.つまり條件(1)での代わりにと書いたものが滿足されるからである.從ってただの數は1次演算子の特別の場合である.この1次演算子はすべての1次演算子と交換するという性質をもっており,この性質が一般の1次演算子と異なるところである.

 いままでは1次演算子をケット・ベクトルだけに施すものと考えてきたが,これらの1次演算子をブラ・ベクトルにも施せるものとしてその意味をつけることができる.それには次のようにする.ケットと任意のブラとのスカラー積をとってみるこのスカラー積はと1次關係にあり,從ってブラの定義から,と何かあるブラとのスカラー積であると考えることもできる.こうして一つのブラを定義すると,それはと1次關係にある.從ってこのブラはある1次演算子をに施した結果であると見なしてもよい.この1次演算子はもとの1次演算子をきめればただ一通りにきまるものであるから,同じ1次演算子をブラに施したのであるといってもうなずけることであろう.こういう仕方で1次演算子をブラ・ベクトルにも施せるようにするのである.

 をブラに施した結果得られるブラを表わす記號としてはが適當である.なぜならこの記號を用いるとを定義する方程式は,を任意のケットとして,

となるが,これは單にの3重の積について掛け算の結合の公理を表わしたものであるからである.從って一般的な規則として,ブラと1次演算子との積ではブラはいつでも必ず左側に置くものとする.こうなるとおよびの3重の積を,括弧を取り去って簡單にと書くことができる.たやすく確かめられるように,掛け算の分配の公理がブラと1次演算子との積に對しても成りたっている.そのことは1次演算子とケットとの積の場合とちょうど同じである.

 上に述べた形式を用いるとき積としての意味をもつものがもう1種類ある.それはすなわちケット・ベクトルとブラ・ベクトルとの積で,のようにケットを左側に置いたものである.この積を調べるために,それを任意のケットに掛けて見よう.ただしそのケットを右側におき,掛け算の結合の公理を假定する.すると積はとなり,これはまた別のケットつまりにただの數を掛けたケットである.そしてこのケットはと1次的な關係にある.こういうわけではケットに施すことのできる1次演算子と見られる.これはまたブラにも施すことができて,ブラを左から掛けたものはとなるが,これはブラをただの數倍したものである.という積は,同じ因數を逆の順に並べた積とは,はっきり區別しなければならない.積の方は,いうまでもなく,ただの數である.

 以上でブラ・ベクトル,ケット・ベクトルおよび1次演算子の3種の量を含む完全な代數的形式ができあがった.これらの量は上に論じたいろいろなやり方で掛け合わせることができ,掛け算の結合の公理および分配の公理はいつでも成りたっているが,掛け算の交換の公理は成りたたない.この一般的な形式でも前の節で述べた記號の規則はやはり成りたっていて,左に右にを含む完全な括弧式はただの數を表わし,これに對してかだけを含む不完全な括弧式はベクトルを表わしているのである.

 この形式の物理的意味については,すでに假定を設けて,ブラ・ベクトルおよびケット・ベクトルが,というよりこれらのベクトルの方向が,ある特別の時刻に力學系のとる狀態に對應しているものとしておいた.今度はさらに,1次演算子はその時刻での力學變數に對應すると假定を設ける.力學變數という意味は粒子の座漂や速度の成分,運動量や角運動量.およびこれらの量の函數のことである——實際これらは古典力學を作りあげるのに用いられているものと同じ變數である,新しく設けた假定の要求するところは,これらの量が量子力學にも現われるが,そこには著しい差異があって今度はそれらの變數は掛け算の交換の公理が成りたたないような代數に從うということである.

 力學變數に對して成りたつ代數が異なるということは,量子力學が古典力學と異なっている最も重要な點の一つである.あとでわかるように,この根本的な差異があるにも拘らず,量子力學の力學變數とそれに相當する古典論の變數との間にはやはり共通な性質がたくさんあり,量子力學の力學變數についての理論を古典論とよく似た形に,しかも古典論をみごとに一般化した形に作りあげてゆけるのである.

 力學變數とそれに對應する1次演算子とを表わすのに同じ文字を用いるのが便利である.實際,力學變數とそれに對應する1次演算子とがどちらも同じものであると考えても混亂に陷ることはない.