2016年1月7日木曜日

2.光子のかたより

2.光子のかたより

 前の節では,觀測を穩やかに行える程度には限りがあり,またそのため當然それらの觀測の結果に不定さが生ずることを論じたが,これだけでは量子力學を作りあげるための定量的な基礎とすることはできない.その目的のためには新しい一組の正確な自然法則が必要になってくる.これらの法則の中で最も基本的でまた最も思いきったものの一つは狀態の重ね合わせの原理である.この原理を一般的に定式化してゆくために,いくつかの特別な場合について考察を進めることにする.そしてまず光のかたよりについての例を取上げよう.

 實驗で知られているように,直線的にかたよった光を用いて光電子を放出させると,電子が特によく飛び出す方向がある.このように光のかたよりの性質は光の粒としての性質とかたく結びついているものであるから,光子にかたよりという性質を持たせてやることが必要である.たとえばある直線の方向にかたよった光線は,それぞれその直線の方向にかたよった光子から成っているし,圓形にかたよった光線は圓形にかたよった光子から成っていると考えなければならない.これから先で使う言い方をすれば,光子はそれぞれ一定のかたよりの狀態にあるのである.そこでわれわれの考えねばならぬことは,こういう考え方と,光をかたよった成分に分けまたこれらの成分を寄せ合わせることについて今までに旣に知られている事實とを,どうやって調和させるかという問題である1).

 一つきまった場合について話を進めよう.光線が電氣石の結晶を通ってくるものとしよう.この結晶はその光軸に垂直な平面内にかたよった光だけしか通さない性質を持っている.古典電氣力學によれば,さし込む光線がどの方向にかたよっていても,それに應じてどういうことがおこるかはよくわかっている.この光線が光軸の方向に垂直にかたよっていれば全部が結晶を通りぬけるであろうし,光軸に平行にかたよっていれば全然通りぬけないであろう.また軸と角 の傾きにかたよっている時には,だけの割合で通りぬけるであろう.ところでこういう結果は,光子を基にするときにはどう理解すればよかろうか?

 一定の方向の平面內にかたよった光線は,それぞれがその方向の平面內にかたよった光子からできあがっているものと見るのが當然である.こういう見方をしても,いまさし込んで來た光線が光軸に垂直か平行にかたよっている時には,別に困難は起らない.軸に垂直にかたよった光子はみな結晶に妨げられないでそのまま通りぬけるが,軸に平行にかたよった光子はみな止められて吸收されると考えておけばそれでよろしい.しかし光線が斜にかたよってさし込む場合には困難が生ずる.このときには飛び込んでくる光子はどれも斜にかたよっていて,このような光子が電氣石に當たるとどういうことがおこるかは明らかではない.

 一定の條件のもとにおかれた特定の光子にどういうことがおこるかという問は,實はあまりはっきりしたものではない.正確な問にしようと思えば,この問に關係したある實驗が行われたと想像して,その實驗の結果がどうなるかということを尋ねなければならない.實驗の結果についての問だけが實際に意味を持っており,理論物理學で考える必要があるものもこのような問だけである.

 今述べた例では,1個の光子だけから成っている光線をさし込ませて結晶の後側に何が現われるかを觀測するという實驗をすれば,事情が明らかになる.量子力學によれば,この實驗の結果は次のようになる.飛び込んできた光子のエネルギーと同じエネルギーを持った1個の光子をそっくり結晶の後側に見出すこともあり,また全然何も見出さないこともあるのである.そして1個の光子がそっくり見出される場合には,その光軸に乘直にかたよっている.光子の一部分だけを後側で見出すことは決してない.この實驗をきわめて多く繰り返せば,總囘數の內の割合で後側に光子を見つけるであろう.こういうわけであるから,光子はだけの確率で電氣石を通りぬけて軸に垂直なかたよりを持って後側に現われ,だけの確率で吸收される,といってよい.確率がこんな値になっていると,多くの光子を含んだ光線がさし込んできた場合には,古典論の結果と正しく一致したものになる.

 このようにしてどんな場合にでも光子の個體性は保たれている.しかしこのことは,どんな事柄もはっきりと定められるとした古典論の性質を捨ててしまって始めてできたことである.實驗の結果は,古典論の考え方とは異なって,實驗する人が支配できる條件によって決定されはしないのである.豫言できることは,たかだか,生じうるいくつかの結果と,それぞれのおこる確率とだけである.

 上に論じたことは斜めにかたよった光子1個が電氣石の結晶の上へ飛んでくる實驗の結果についてであるが,斜めにかたよった光子が電氣石にあたるときに起る事柄についての本當に意味のある問に對しては,すべてこの議論によって答が與えられている.光子が通りぬけるか否かは何によってきまるのかとか,通りぬける途中でかたよりの方向がどんなぐあいに變ってゆくのかといった問は,實驗で調べることができないのであって,科學の領域の外にあるものと見なさなくてはならない.とはいえこの實驗の結果と,光子を用いて行われる他の實驗の結果との間に互につながりをつけ,それらすベてを一般の形式にあてはめるためには,何かもう少し立ち入った述べ方をすることが必要である.そのような立ち入った述べ方をしても,それは科學の領域の外にある問に答えようと試みているのだなどと思ってはならない.これはむしろ,多くの實驗の結果を簡潔にいい表わす規則をまとめあげるための手助けと見なさねばならないものである.

 量子力學が與えてくれるそのような述べ方というのは次のとおりである.光軸に斜めにかたよった光子は,部分的には軸に平行にかたよった狀態にあり,部分的には軸に垂直にかたよった狀態にあると見なすものとする.斜めにかたよった狀態は,平行と垂直とにかたよった二つの狀態に,ある種の重ね合わせの手續きを施した結果と考えるものとする.ということは,いろいろなかたよりの狀態の間に一定の特別な關係があることを意味するわけである.この關係は古典光學でのかたよった光線の間にある關係に似ているが,今の場合その關係は光線に對して適用されるのではなくて,ある特定の光子のかたよりの狀態に對して適用されるのである.この關係があるので,どのかたよりの狀態も,任意の二つの互に垂直なかたよりの狀態に分けたり,あるいはそれらの重ね合わせとして表わすことが許される2).

 光子を電氣石の結晶にあてる時には,光子に對して觀測を行なっているのである.というのは,光子が光軸に平行にかたよっているか垂直にかたよっているかを觀測しているのである.この觀測を行なったことが影響して,光子は完全に平行にかたよった狀態かあるいは完全に垂直にかたよった狀態かに追いやられてしまうのである.光子はこれらの二つの狀能のそれぞれに部分的に存在していたのが,突然飛び移ってそれらのうちどちらか全く一方に存在するようになることをしいられる.光子が二つの狀態のどちらへ飛び移るかは豫言できないことで,確率の法則に從って行なわれるにすぎない.光子が平行な狀態に飛び移れば吸收されてしまうし,垂直な狀態に飛び移れば結晶を通りぬけて,そのかたよりの狀態を保ったまま他の側に現われるのである.