2016年1月9日土曜日

3.光子の干渉

3.光子の干渉

 この節では重ね合わせの例をもう一つ論ずることにする.やはり光子を取り上げるが,そのかたよりを問題にするのではなくて空間の中の位置と運動量とを問題にすることにする.いまほぼ一定の色の光線があるとすれば,これに伴なう光子の場所と運動量とについてある程度のことはわかっている.つまりこれらの光子のおのおのは光線が通って行く空間の中のどこかにあり,その運動量は光線の方向を向き,その大きさはアインシュタインの光電法則1)――運動量は振動數とある普遍定數との積に等しいという法則――によって光線の振動數を用いて表わされることがわかっている.ある光子の場所と運動量とについて,われわれがこのような知識を持っている時には,その光子はあるきまった進行の狀態にあるということにする.

 これから光子の干涉について量子力學ではどう述べるかを論ずる.干渉を明らかに示す實驗を一つえらんで考えてみよう.光線がある種の干渉計を通ったと想像して見る.從ってこの光線は2成分に分けられ,ついでこの二つの成分が互に干渉させられるわけである.前の節と同様に,ただ1個の光子から成る入射光線をとり,この光線が裝置を通るとどんなことが起こるかを調べよう.こうすると光の波動說と粒子說とが相反するという困難がくっきりとわれわれの前に浮かび出てくる.

 かたよりの場合に用いた述べ方にならって,われわれは今度は光子が入射光線の分かれた二つの成分のおのおのの中に部分的にはいって行くというふうないい方をせねばならない2).それならば光子は,二つの成分に伴なっている二つの進行の狀態を重ね合わせて作られるある進行の狀態にある,というのが當然であろう.こういう次第で’進行の狀態’ということばは前よりも一般化された意味で光子に適用されることになるのである.光子がきまった進行の狀態にあるためには,ただ1本の光線に伴なうものである必要はなく,もとの光線を分解した成分の二つのあるいはそれ以上の光線に伴なうものであってもよいのである1.正確な數學的理論では,進行の狀態にはそれぞれ普通の波動光學の波動函數の一つが伴なっている.ところがこの波動函數は1本の光線を表わしているものとしてもよく,あるいはもとの光線を分解した2本またはそれ以上の光線を書き表わしているものとしてもよい.このようなわけで進行の狀態は波動函數と似たような仕方で重ね合わせができるのである.

 さて次に二つの成分の內の一方でエネルギーを決定したならばどういうことが起こるかを考えよう、こういう決定をすればその結果はもとの光子がそっくり見出されるか,それとも全然何も見出されないかのどちらかよりほかにはない.こんなわけで光子は,今まで部分的に一方の光線の中にあり部分的に他方の中にあったのが,突然全部一方の光線の中にあるように變るはずである.この突然の變化は觀測によって光子の進行狀態が必然的にかき亂きれるためである.二つの光線のどちらに光子が見つかるかを豫言することは不可能である.最初に光子が二つの光線にまたがって分布していた有樣から,どちらか一方の結果が現われることの確率が計算できるだけである.

 エネルギーの測定を行ないながらその光線成分を殘しておくこともできる.たとえば動きうる鏡で光線を反射させて鏡がはね返るのを觀測すればよい.光子に對して上のような述べ方をしておくと次の推定を下すことができる.つまりこういうエネルギーの測定を行なった後では2成分の間には何も干渉の作用を起させることはできないであろうということである.光子が部分的に一方の光線の中にあり部分的に他の光線の中にある限りは,二つの光線を重ね合わせると干渉を起すことができる.しかし觀測によって光子が完全に一方の光線の中へと押しやられると,この可能性は消えうせてしまう.こうなると他方の光線は,その光子を書き表わす上にもはや何の役割も演じない.従って引き續いてどんな實驗を行なってみても,光子は普通のように一方の光線の中にあるものと同じことである3).

 このような方針で量子力學は光の波動性と粒子性の調和をもたらすことができる.一番たいせつな點は,光子のいろいろな進行の狀態にそれぞれ普通の波動光學の波動函數がーつずつ伴なっていることである.進行の狀態と波動函數とが相伴なうというこの性質は,古典力學を基にした見方では理解できない全く新しいものである.光子とそれに伴なう波とが,古典力學の粒子と波と同様に,互に作用しあっているという見方をしたならばそれはまったく誤りである.この粒子と波との關係は統計的にしか理解できないものなのである.すなわち波動函數は,光子がどこにあるか觀測をしたときに,それがある特定の場所に見出される確率についての知識を與えるのである.

 量子力學の發見されるしばらく以前から,光波と光子との結びつきが統計的なものでなければならぬことはよく了解されていた.とはいえ,當時の人人にははっきり了解のできなかった點もある.それは波動函數は1個の光子がどこか特定の揚所にあることの確率についての知識を與えるものであって,その揚所に光子がいくつあるらしいかという數を與えるものではないという點である.この區別の重要なことは次のようにすれば明らかになる.たくさんの光子から成る光線が同じ强さをもつ二つの成分に分れたと想像してみる.光線の强さはその中に光子がいくつ含まれているらしいかという數に關係してきまると假定するならば,光子の總數の半分ずつがおのおのの成分にはいって行ったはずである.さてこの2成分を互に干涉させたとすれば,一方の成分に含まれる光子は他の成分の中にある光子と干涉できるものと考えなければなるまい.するとこれら2個の光子は互に消し合う場合もあり,またこれら2個の光子から4個の光子が作り出される場合もなければならないことになる.これはエネルギー保存と矛盾することになろう.新しい理論によれば波動函數は1個の光子についての確率と結びつけられているのであるが,こうしておのおのの光子を2成分のどちらにも部分的に入れてやってこの困難に打ち勝つのである.こうすれば光子はみなそれぞれ自分自身とだけ干渉し2個の異なる光子の間の干渉は決して起らないのである4).

 上に論じたような粒子と波動とが相伴なうということは光の場合に限られているものではなくて,最近の理論によれば廣く一般に適用されるものである.あらゆる種類の粒子がこのように波を伴なっており,逆にあらゆる波動が粒子を伴なっている.こういうわけですベての粒子に干渉の効果を起させることができるし,すべての波動のエネルギーは量子という形をとるのである.これらの一般的な現象がなぜもっとはっきり現われてこないかといえば,それは粒子の質量あるいはエネルギーは波の振動數に比例するという法則のためである.つまりその比例係數の値が非常に小さいので,日常に現われる振動數の波に伴なう量子は極端に小さくなり,また電子のように輕い粒子に伴なう波でもその振動數は非常に高くなって干渉を起して見せることは容易ではないからである.


  1. 重ね合わせという考えを用いるときに進行の狀態についてはそのもとの意味を一般化することが要求されるのに,前の節のかたよりの狀態についてはこれに相當した一般化の必要はなかったが,この事情は偶然のものであって,別にその基礎に理論的な意味があるわけではない. ↩